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【コラム】アイデンティティは誰のもの?大坂なおみ選手の報道をめぐって繰り返される、「何人?」という問いかけについて(by下地 ローレンス吉孝)

最終更新: 2018年9月14日






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わたしはテニスについて詳しくはないけれど、大坂なおみ選手が達成したすばらしい偉業について、素直にうれしく感じました。


HAFU TALKでは、「ハーフ」や海外ルーツの人々にまつわるテーマで発信を続けてきたのですが、大坂なおみさんの報道やTwitterをめぐって気になることがありました。


それは、テニスの功績やプレーを賞賛するものにまぎれて、大坂なおみさんのアイデンティティにまつわる言及が劇的(異様ともいえるほど?)に多い点です。


偉業を達成した際に、そのスポーツ選手の生い立ちやファミリー・ヒストリーを伝える報道やメディア発信が増えることはよくあることかなと思います。大坂選手についても同様です。


しかし、ここにまぎれて頻出するものは、彼女のアイデンティティにまつわる言及です。


端的にいえば、それは大坂なおみさんを「日本人」か、そうではないか、のどちらかにアイデンティファイ(アイデンティティ付け)しようとする言及が多い印象があります。


しかも、これを発信する人の意図や表現方法、そして発話者のポジショナリティ(社会的な立場)も非常に多様であるため、さながら、大坂なおみさんへの「アイデンティティ付け合戦」(語呂が悪い)がメディアやウェブ上で展開されているような状況です。




そこで、直近のメディア報道やTwitter上で、大坂なおみさんのアイデンティティをめぐる言及をざっくりと簡単に整理してみました。


① 大坂なおみさんは「日本人」


② 大坂なおみさんは「日本人ではない」「日本人としては違和感」


③ 何人(なにじん)かはどうでもよい。選手としてすごい


④ 大坂なおみさんのインタビューや語ったアイデンティティになるべくそったような表現を心がける



また、①の意見のなかには、


(1)「日本の誇り」「日本人すごい」といったように、なおみ選手の活躍と「日本のすばらしさ」を結び付けようという語り。大坂なおみ選手の、しぐさや、名前、文化などの中にある「日本的」な要素にフォーカスする。


(2)「日本人」は、実際には多様である。大坂なおみ選手のように、「日本人」は多様化している。大坂なおみさんたちの存在で、「日本人」が多様化する。


という二種類の方向の言及がみられます。


また、①-(1)のような言及を批判し、「普段は外国人扱いされるのに、活躍したときに限って「日本人」として扱われる」ことに対し違和感や警鐘を鳴らす言及もみられます。さらに、都合のよい場合のみ「日本人」性を強調するメディアを批判する声も聞かれます。



②に関しては、見た目や生い立ちやルーツや二重国籍であることなどをあげつらって、「日本人ではない」「日本人感がない」といったような表現や、引用したくないような人種差別的な表現や嫌悪表現も見られる。これは深刻なレイシャル・ハラスメントとなり、人権侵害です。


③のように、「何人かはどうでもよい」「選手としてすごい」という、「客観的」な意見も聞かれました。もちろん、選手としての活躍はすばらしいものです。しかし、アイデンティティをめぐるテーマは、個々人にとっては切っても切り離せないテーマであり、大坂なおみ選手にとっても、日本の選手として試合に出場することや、日本とアメリカの二重国籍であり日本国籍を選択する場合はその宣言を数年後にはしなければならないという状況は、非常にナイーブで深刻なテーマでもあります。このようなアイデンティティにまつわる考えについて、他人が「関係ない」とみなすのは自由ですが、大坂なおみ選手にとっては「関係ないものでは決してない」ということを忘れてはいけないでしょう。



④について、日本の大手メディアでは、端的に「日本人初」「日本選手」といったように、どちらかといえば「日本」性や「日本人」であることが強調されるような印象がありますが、海外のメディアでは、大坂なおみ選手の生い立ちにそうような表現を心がけるような表現がみられます。


9月10日付のワシントンポスト記事でも、タイトルに「日本人であり、ハイチ人であり、新たなグランドスラムの勝者:大坂なおみの全米オープンへの歴史的な道のり(原文:Japanese, Haitian, and now a Grand Slam winner: Naomi Osaka’s historic journey to the U.S. Open)」と記され、「日本人」と「ハイチ人」であることが併置されています。


日本では、「日本人初」であることがことさら強調されていますが、この記事によれば、「ハイチ人初」でもあるということがほとんど強調されていないことが指摘されています。


さらに記事では、大坂なおみさんの両親が引越した際の経緯(北海道→大坂→ニューヨーク→フロリダ)、ハイチ系の人々が多い土地柄でテニスに励んだことや、母親からの日本の文化の中で育ったことなど、生い立ちが丁寧に記述されている。大坂なおみさん自身のインタビューでの返答やツィッターでの言及を記載し、かのじょを「何人か」として単一にカテゴリーに振り分けようとする言及は見られません。



■アイデンティティはだれもの?



「大坂なおみ選手は何人なの?」



この問いかけが、あまりにも頻出しています。


そして、この問いかけは、今後もいつまでたっても出てくるのかもしれません。


しかし、そこに一言だけ言い返したいことが。


「あなた」は、大坂なおみ選手を何人か決めることはできないし、決めるべきではないし、決める必要もない、と。


それでも、「何人か?」が気になるのなら、何も聞かずに黙って大坂なおみ選手の発する言葉に、紡がれる表現に、耳を傾けていればよいだけです。


本人の意図やアイデンティティを無視して、「名前」「外見」「しぐさ」「言語」「生い立ち」などある要素に執着して、他者が「日本人だ」「やっぱり外国人だ」ということを言及すること自体が、ナンセンスであり、レイシャル・ハラスメントになりえます。


重要なのは、大坂なおみ選手が「何人なのか?」ではありません。


重要なのは、大坂なおみ選手の、語ることばを、日本が、日本社会が、どれだけ「聞く」ことができるのか、どれだけ「受けとめる」ことができるのか、ということなのではないでしょうか。


二重国籍をめぐる議論も盛り上がっています。さらに、「ハーフ」をめぐる日常生活の差別経験も明らかにされつつあります。


ジェンダーについては、近年は「男か女か」という二分法の区分ではなく、どちらでもありうる/どちらでもないといったジェンダーの認識や、流動的なジェンダーのアイデンティティが認知されるようになってきています。ジェンダー・アイデンティティ、性的指向、そして性表現などによって、多様な性のありようが広く語られるようになってきたためです。


一方、人種や民族といった切り口となると、どちらでもありうる/どちらでもないといったアイデンティティのあり方は、まだまだ発信が(自戒の念をこめて)不足しているため、認知が十分ではないといえます。それでも、複合的なアイデンティティや流動的なポジショナリティについて語ることが、少しずつではあれ増えてきています。人種や民族や文化などにまつわるアイデンティティは、出身地、外見、国籍、育った土地、環境(どのような学校か、どのような文化で育ったか)、家族構成、移動の経緯、名前などによっても多様化します。さらに、加齢や人生経験によって自分自身への捉え方も変わり、アイデンティティが次第に変化しうることもありえるでしょう。



どちらかひとつのアイデンティティを選べ、と迫る社会ではなく、

どちらでもありうるアイデンティティの流動性や可変性が、当たり前になるような社会を目指して。



ある記事では以下のように記載されていました。



「大坂で生まれ、日本の国籍を持ち、ハイチに父方のルーツを持ち、北海道に母方のルーツを持ち、子どもの時からアメリカで育ってテニスの腕を磨く。そのどれが欠けても、大坂なおみではない。全部があって彼女なのだから。」

(Eri Kurobe、2018,09,10、「USオープン優勝! 大坂なおみ選手の「ハーフ」の思い」



そのとおりだと思う。



複雑なものを、端的にカテゴリーに振り分けて理解する「お手軽さ」に抗って、

複雑なものが複雑なままでいられるような社会のありようについて考えていきたいです。



下地 ローレンス吉孝



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