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「自分って何人!?ってよく悩んでいました」カーン・ハリーナさんインタビュー

カーン・ハリーナさん(仮名)は「日本生まれの日本育ちで、父がパキスタン人で、母が関西出身の日本人です」と説明してくださり、小学校でも他に同じようなルーツの子どもがいない地域だったそうです。これまでの経験や、周りの生徒や先生に伝えたいメッセージについてお話をうかがいました。


(この記事は、書籍『「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実』に掲載されているインタビューのロングバージョンです。書籍情報は記事の最後に記載しています。)


***


――お生まれはどちらですか?


 日本生まれの日本育ちです。父がパキスタン人で、母が関西出身の日本人です。両親は日本で出会って、日本で暮らしています。住んでいる県にはパキスタンの人が結構多いですね。私は6人きょうだいの長女で第一子だったので、親にとっては、初子育て且つハーフの子育てと言うことでいろいろ大変だっただろうなと思います。


最初は自分の苗字は母方の日本の名前だったのですが、もしかしたらパキスタンに移住することになるかもしれないっていう事だったので、向こうになじむために苗字が父方の名前に変わりました。結局は日本に一番長く住んだんですけどね!


幼稚園の頃は、自分がハーフだということを自覚する機会もなかったので、普通に友達と遊んで過ごしていました。自分の住んでいる県は田舎なのですが、小学校はさらに田舎の地域にあったので自分が学年唯一のハーフでした。一応、上の学年にはハーフの方がいたりしたんですけど、あまり関わりはなかったですね。小学校での学校生活を一言でいうと、とりあえず浮いていました。私はムスリム(イスラム教徒)なので、色々守らないといけないルールがありました。例えば、肌の見える服はあまり良くないから、みんなが半袖短パンでも自分は長袖長ズボンだったり、給食にはハラーム(ムスリムが食べれないもの)が出てくることがある事もあるので毎日弁当を持って行っていました。自分は日本語を話す日本人だけれど、服装や食べるものが少し違うってだけで周りからの壁を感じていた小学校時代でした。


特に小学校時代の成績表に書かれていた一文も今でも良く覚えています。私は、隔年でパキスタンに帰っていたのですが、それが理由で受けられなかったテストがありました。成績表には「パキスタンに帰国のためこのテストは受けられなかった」って書いてあったんですよね。当時私は自分のことを日本人だと思って日本人として生きていたのに、先生からしたら外国人だったから「帰国」って書かれたのかなって思うとショックでした。自分の好きな先生だったので余計に!(笑)


そう言った言葉のチョイスで、私が「違う」って思われているっていうのは感じていました。田舎で保守的な環境であり、学校にいたハーフの人数も数人だったので、そもそもハーフに対しての理解があまりなかったのかなって今なら思います。


あとは小中学時代、普通にいじめもありました。「外人、国に帰れ」や名前の事で揶揄われるのはハーフあるあるですよね。負けたくなかったので言い返したかったんですけど、「日本人、国に帰れ」って言い返すのも変だし、なんて言い返せばいいんだろうって悩んでいたのを覚えています。違うって認識されているのはわかるんですけど、私のアイデンティティは日本の方が強いので「外人じゃないよ!」って思っていました。


そうやって「日本人としての私」をずっと否定され続けてきたので、もしかしてパキスタン人だからそうやって扱われるのかなって考えていた時期もありました。


当時弟も学校でうまくいってなかったので、親が一念発起して、私たちを連れてパキスタンに行って、そこで約一年学校に通いました。親の狙いとしては自分のもう一つのルーツを知ってほしかったみたいです。でも、父から聞いていた「パキスタン」と現実は違って、パキスタン生活も色々大変でした。例えば、学校に行ったらバスから降りてきた子どもたちから、「チャイニーズ」って呼ばれたり。


ずっと日本人から日本人であることを否定されて「私はパキスタン人だ」っていうことで自分を保っていたのにパキスタンではパキスタン人扱いされなかったので「じゃあ、自分って何人!?」ってよく悩んでいました。パキスタンは中国と国境も接しているので、パキスタンでみかけるアジア人は圧倒的に中国人が多いんです。なので、私たちを中国人扱いするのは、理に適っているんですけど、正直に言うと、悲しかったです。パキスタンの公用語であるウルドゥー語も親戚の人とはなんとか単語をつないで話せたんですけど、同年代の子と話すには語彙力が圧倒的に足りなかったのでクラスの子と会話するのも大変でした。でも、日本帰国前にはウルドゥー語での軽い会話をできるようになりました。日本で育ったので住んでみて感じた文化の差も大きかったです。例えば、女性だから一人で外に出たら危ないよってアドバイスも理解はできるけど窮屈だなって感じていました。でも振り返ってみると、自分のもう片方の文化を知れる良い機会でした。


高一の学年時に、母が怪我をして手術を受けないといけなくなったので、家族で日本に戻りました。日本帰国後は日本にも合わなかったし、パキスタンも合わなかったし、もう人生無理だって病んでいました。家庭の事情もあって、高二、高三の時期は高校には通わず、ずっと家で勉強していました。高等学校卒業認定試験を高校二年生の時に取得して、高三の時期はずっと英語の勉強をしていました。それで、高3の学年が終わる時期に専門学校を受験して、外国語専門学校に18歳の時から二年間通っていました。そこが私のターニングポイントでした。学校では外国人の先生が多くて、クラスメイトも外国に興味をもっている人が多かったので、そこで自分が初めて「普通」になれたんです。それまで自分ってどちらの国でも、悪い意味で浮いていたので、ずっと普通になってみたかったんですよね。学校では英語を勉強して、資格をとって、友達もできて、初めて楽しく学校生活を過ごして、そのあとは地元の大学に就職しました。


学生生活から社会に出る就職活動はみんなが苦労する所だと思います。個人的にはハーフだと見た目や名前の特異性がまた社会にジャッジされる場面だと思うんですよね。

私の名前は姓名両方ともカタカナです。なので、就職活動の時は日本人扱いされないかもしれないって言う不安がずっとありました。履歴書は何通か送ったことがあるんですけど、結局内定を頂けたのは国際系の部門のある企業からだけでした。もしかしたら私の能力が企業の求めている人材像と合わなかっただけなのかもしれないですけど、個人的には、田舎で外国人っぽい名前でヒジャーブ(ムスリムの女性が髪を隠すために被るもの)を被って就活するのがネックだなと思っていたので、そこが原因かなと考えていました。


面接も圧迫面接とか色々ありますよね。私の受けたことのある面接はラッキーなことに普通の面接ばかりだったんですけど、ずっと自己紹介が苦手でした。名前や服装に外国人感があって、日本企業に受け入れられるには「日本人感」が足りてないと思っていたので、日本の文化を知っている日本人であるっていうことを、父が外国人でも母が日本人であることや日本の学校に通っていたということで証明しようとしていました。ある面接でも、日本の中学校に通っていたと言わなかったら、「日本語書けますか?」「(履歴書の)字、日本人みたいに上手ですね」って言われたことがあったので。きっと相手からしたら褒めているつもりかも知れないんですけど、日本人に「日本人みたいに字が上手」っていうのは変ですよね。いくら仕事が欲しくても、初めて会った人に両親の出身地を毎回毎回言うことがずっとストレスで自分がすり減ってく感じがしていました。


内定先の企業で事務員として働いていた時、同時に放送大学で心理学を学んでいました。多分長い間ずっと病んでいたんですよね。イジメのことやイスラム教徒としての常識と、日本人としての常識と、パキスタン人としての常識、その全部を背負って日本社会に適応しようとするのは、自分にとってはとてもじゃないけど簡単じゃありませんでした。食べられないものがあることや門限が厳しいことで友達と遊ぶたびに気を遣ったり、気を遣われたりしていて。それで私の周りの子も似ているような状況で悩んでいる子が何人かいたんです。自分も含めてそういう人たちを助けたいと思って、心理学を勉強していました。


ある時、心理学のセミナーで実際に教室に集まる機会があって、その講師が差別を研究されている方だったのですごく楽しみで参加しました。自分の関心にすごくぴったりだと思って。自己紹介の場があって、「好きなおにぎりの具の味を言おう」って言うことになったんです。それで、講師の方が一番最初に私を見て聞いたのが、「おにぎりって知っていますか?」って質問だったんです。そこで、もうダメだと思ってしまって。日本に住んでいたら私、自殺してしまう、もう耐えきれないと思って。そこからより一層留学を考えるようになりました。他の人が聞いたらすごく簡単な言葉かもしれないですよね、「親切に聞いてくれただけじゃん」って言われるかもしれないです。でも、自分のキャパシティを超えた言葉がそれだったんです。今まで溜まりに溜まってきたものの最後の言葉がそれだったんです。


――しかも、差別を研究している先生が…


それもすごく、納得できなかったところなんですよね。その教授と最後に話した時に、「差別を研究していらっしゃるのに、そこは考えられなかったんですか?」って直球で聞いたんです。そしたら、「すいません」って言われて、それでもうなんでもいいや、と思っちゃって。そこから英語の検定試験を受けて、大学に出願して、入学許可をもらって、退職して、ニュージーランドの大学に留学しました。


留学準備の時もいろいろありました。ビザ取得のために銀行に残高証明を取りに行った時、日本のパスポートを見せたらもうこれ以上「日本人ですか?」って聞かれることもないだろうって考えたので身分証明書用にパスポートを持って行ったんです。


銀行の方に「残高証明書を用意するので身分証明書を見せてください」と言われてパスポートを渡すと、「ありがとうございます。それでは、外国人登録証も見せてもらえますか」言われて、え?って感じでした。「日本のパスポートみせましたし、日本人なんですけど、これ以上なにか証明が必要ですか?私、これ以上何も持ってないです」って言ったんです。そしたら、裏から上司らしい人が出てきて、その方が「すいません、外国人登録証も見せてもらえますか?」ってまた同じことを聞いてきたんですよね(笑)で、私も「持っていないです」って言って。それで、運転免許証の本籍が載ってる箇所を見せて、私が日本人であるって言うことを二重に証明したんですけど、それでもまだ納得してもらえなかったです…。それでも、手続き上の必要書類の欄を見返したらそれで大丈夫ってことに気づいたみたいで、一応残高証明証もとれて、無事にビザもとれました。そういったことも重なって、半ば逃げる感じでニュージーランドに行きました。


日本とパキスタンに疲れてニュージーランドに行ったので色々自分の中で理想化していた部分があったんですけど、行ってみて気づいたのは、もちろんニュージーランドにも差別はあるということです。ちょうど新型コロナウィルスが拡大した時期にアジア系の人が「コロナ」っていわれたりだとか。きっと世界中どこでも差別はありますよね。でも日本にいた時やパキスタンにいた時とは違って、ここで自分が外国人として扱われることは当然のことなので、自国で外国人扱いされるストレスから抜け出せたことは大きいです。多民族国家なので、相手のバックグラウンドに寛容な人が多いのもこの国の好きな所です。


大学では心理学と言語学を専攻しているんですが、どちらの分野にも必ず多様性を扱う部分があるのがすごく好きな所ですね。私が日本で心理学を学んでいた時には、多様性には触れていなくて、学んでいる内容に自分が含まれている気がしませんでした。


私が日本での学生時代に経験したことはもう過去の話なんですけど、それと同じ経験を次の世代にはさせたくないってずっと考えていました。私には4歳の妹がいるんですけど、その子には同じ経験をさせたくないなって、すごく思うんです。いつか私も次世代のサポートができるようになるのが私の最終的なゴールですね!


私が悩みを相談する相手は親であることが多いです。でも親にハーフ関係の悩みを相談しても通じないことが多いんですよね。私は幼いころから「ガイジン、国に帰れ」って言われ続けていて、アイデンティティ・クライシスもあったりしたんですけど、きっと親は日本人なら日本人としてのほほんと生きてこれた部分があって、自分が日本人かどうかって考えたことがないと思うんですよね。「相手はうらやましいからそういうこと言ってくるんだよ」って言う感じの寄り添おうとしているけど少しズレたアドバイスを聞くと、やっぱり当事者にしか気持ちが分からないのかなって考えていました。なので、自分でも時々もやもやした気持ちが溜まってくると、同じハーフの人が情報発信しているのをみたりしています。自分と同じ状況の人を見ると安心できるんですよね、自分だけじゃないんだ、って。


そういうのがあって、心理学を学びたいなって思ったんですよね。人の心理について知れたら、なんでこんなふうに、こんな扱いを受けるのかわかるかなと思ったんですけど。でも、大人になったら個人じゃなくて社会がダメなんだなって思うようになって。問題がデカいですね…。


――中学生向けの本なんですけど、このインタビューで何か伝えたいことはありますか?


偶然にも君たちは周りの大人が経験してきた子供時代に比べると圧倒的にハーフやミックスルーツの子が多い時代に生きています。隣の席の子や好きな子がハーフやミックスルーツだったりするかも知れない。そういった時に、「英語話せる?」とか「親は何人なの?」という質問をする前に少し待って、ある程度仲良くなってからにしてみてほしいです。


中学生のハーフの子に言いたいことは、周りの人に理解されなくて悲しいとか、死にたいって思っていても、自分の居場所は学校や家、今いる環境だけじゃないので、できたらまだ諦めないで欲しい。5−6年経って大人になったら、割と自分で生きたい世界、したい事を選べる自由が増えるよ!中学校は義務教育で絶対卒業できるから、ほんとに行きたくなかったら行かなくてもいいし、自分の心を一番大事にして、自分の人生を楽しむための選択をしてほしいなって思います。


あと、自分で自分を何人って考えるかは生きている限りずっと変わると思う。それは全然おかしいことじゃないよ。例えば、私は文章の中でパキスタンに「帰る」、「行く」日本に「戻る」って使っています。一貫性のない様に見えるけど、自分のアイデンティティには正解はないので、その時の自分の気持ち逆らわずに正直に表現していいと思う。どっちでもいれるところが、私たちハーフの最高にかっこいいところだから、混乱してつらいって思うことがあると思うけど、どんな時でも自分を誇りに思ってね。ここまで生きてこられた君は十分強いよ!


先生に言いたいことは…。

 ハーフと一言で言っても全員が同じように考えているわけではないし、同じ能力を持っているわけでもないです。私たちの違う部分に目を向けるだけじゃなくて、ぜひ同じ部分も見てください。見た目や格好で判断せずその子本人に向き合って、その子を外国人扱いするのは本当に適切な行為か行動する前に一度考えてみて欲しいです。

 きっと理解するのにも限度があると思いますが、先生方が無意識にでも「違う」と思って接するとそれは生徒にも伝わるし、広がっていきます。どんな生徒でもより楽しく学校で過ごせるためには先生方のご理解が不可欠なので、心からよろしくお願いします。


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インタビュー:下地 ローレンス吉孝

(※この記事は、書籍『「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実』に掲載されているインタビューのロングバージョンです。)



◆書籍情報◆


平凡社、4月21日発売予定

本体価格1,600円

目次

第1章「ハーフ」の問題は社会の問題なの? 

1 社会の問題として考えるってどういうこと?

2「ハーフ」の日常ってどんな感じ?

第2章それぞれの経験が複雑ってどういうこと?

第3章「ハーフ」のイメージと現実は違うの?

1「ハーフ」の歴史は日本の歴史なの? 2「ハーフ」のイメージはどうやって作られたの?

第4章「当たり前を問い直す」ってどういうこと?  

1差別ってなんだろう?  

2だれも「偏見」から逃れられないの?

第5章メンタルヘルスにどう向き合うといいの?


●各章の間に多くのインタビューを掲載しています!

●一人一人の経験、差別、社会構造と歴史、メンタルヘルス、人権など。ぜひお手に取り下さい。

出版社(平凡社)の書籍情報はこちら




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