現在、心理カウンセラーとして活動されるラッシュ セリーナ萌さんに、これまでの経験や心理カウンセラーを目指すきっかけなどについてお話をうかがいました。
(この記事は、書籍『「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実』に掲載されているインタビューのロングバージョンです。書籍情報は記事の最後に記載しています。)
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――幼い頃の経験や思い出について教えていただけますか?
私すごくよく覚えてます。幼稚園に行ってたんですけど、クリスチャン系の幼稚園で、とても過ごしやすかったですね。外国人の子とかもいて、園長先生もスウェーデンからの宣教師さんで、すごく自由でみんないつも走り回っていて。ハーフの子たちもいて、自由な雰囲気で楽しかったなという思い出があります。あんまり「自分がハーフ」だとか思わなかったですね、特に気づかなかった。変わったのはたしか小学校くらいからです。小学校の低学年の時に転校したんですけど、学校にハーフが私ときょうだいくらいしかいなくて、他には数人だけブラジルとのハーフの子がいたんですけど・・。私たちは転校生だったので他のクラスからも見にきたりして、指差して「あれだ!」みたいな感じのことを言われたのを覚えてます。
でも、一〜三年生ぐらいまでは小さかったからあんまりどうこう思わなかったんですけど、四年生ぐらいから、定番の「外人帰れ!」みたいなのが始まって、嫌だったなっていうのは覚えてて。多分みんなが「あの子ちょっと違うぞ」と気づき始めたというか。普段は仲良くしてくれてる友達もいて普通に楽しかったんですけど、喧嘩とか何かがあった時に、「外人のくせに」とか、そうやって言われることが多くて。「私は外国人って思われてるんだな」ってそのぐらいの年から思い始めましたね。
「帰れ」って言われても訳がわからなくて、私の帰る場所ここなんだけど、って。どこに帰るの?って。お兄ちゃんがいて、代わりに怒ってくれてたんでだいぶ救われましたね。お兄ちゃんと弟は勉強とかも得意で、運動神経も良くて、学校でいういわゆる人気者だったんですよ。私は結構、性格も大人しくてあまり喋らない子だったんで、ターゲットにしやすかったのかな。女の子の中の強いグループ意識の中で、「あの子ちょっと違うな」みたいなのがあったかも。
小学校の時は本格的ないじめはなかったです、からかわれたりは嫌でしたけど、何日も言われるとかはなかったです。いじめといえば、中学校のときはありましたね。だから私は中学校が一番嫌いだったかな。靴を隠されたり、教科書を隠されたり、、無視されたりとか。でも当時は意外と私もそれで辛いとかはなくて。何ていうんですかね、私は変に、ハーフだからしょうがないんだなみたいな、みんなと違うから言われてもしょうがないんだなって、半分諦めじゃないですけど。だから、学校っていうのは楽しくないもんなんだなっていう感じで通学してました。
一年生の時はまだ平和だったんですよね。私はあまり喋らない子だったので、印象が薄かったのか。でも二年生の時に体育祭があって、応援団みたいなのがあるんですけど、それで、夏休みのある一日を選んで公園でみんなで集まって練習したみたいなんですよね。でも私だけ誘われなくて。夏休み明けに、仲がよかった子に「なんで萌ちゃん来なかったの?」って言われて、「え、聞いてない、何があったの?」って言ったら、「みんなで練習で集まったんだよ」って。多分リーダーの子が私一人だけを誘わなくて、私だけサボったみたいになっちゃって。そのあとぐらいから、ものが無くなったりとか、そういうことも起きて。でも私も半年ぐらい経って、立ち向かったんですよ。そのリーダー格の子に「なんでこういうことするの?」って聞いたら、「萌ちゃんがハーフだから、いや」って言われたんです。ほんとに訳が分からなくて。そんな変えられないことを言われても、って。でもそこから状況は変わりましたね。まさかこちらから何か言ってくると思わなくてびっくりしたのかな。
持ち物がなくなったことは親にも申し訳なくて。体育館で履く靴とかは2回ぐらいなくなって、そのたびに嘘をついてました。「なくしちゃった」とか「壊れた」とか言って、新しいものを買ってもらってたんですけど。親に悪くて言えなかったですね。教科書がなくなった時は、さすがに先生に言いました。「教科書捨てられちゃった」って言ったら、先生も真剣な顔をして「どうしよう」ってなったんですけど、誰がやったかわからず、結局新しい教科書を買いました。言い返した後は、そういうのはなくなったんですけど。
いざ中学校を卒業する時になったらすごく寂しくなって。友達と離れて、普通に泣いて、みたいな感じでした。そのあと、高校に入って…。高校の時はすごく楽しくて、英語科がある学校に入ったんですけど、英語専攻で、授業も半分ぐらいが英語っていう学校だったんです。公立なのに校則もない自由な学校で。高校の第一条件として、私の中学校からの入学生が過去に一人も行ったことがない、っていう学校を受験したんですけど。学校に行くのが楽しくて、親友もできました。高校は個性が強い子ばっかりで、髪に何をつけてもいいし、制服とかをアレンジしても全然問題なくて、ハーフの私がいい感じに目立たなくなって。この子は派手、この子はこれ、萌ちゃんはハーフ、みたいな感じで同じ立場になって、すごく楽になりました。日本人の子も結局みんな全然違うはずなんですけどね、ハーフとか関係なく。でも、みんな個性を出したら嫌われるとか怒られるとか思ってるかも。
校則とかもダメですよね、中学校は校則が厳しくて。みんな同じような髪型で…、どうでもいいことばっかり言われてた。髪の毛のゴムの色から…。髪の毛のゴムは、黒か茶色か紺しかダメって言われて、ベージュのゴムをしたら先生に怒られて。「これ、茶色です」って言ったら、「これはベージュです」って。あとスカートの長さも、私は背が高いので他の子よりもスカートがどうしても短くなっちゃうんですが、しょっちゅう注意されて。背が高いからしょうがないのに…。髪の色も、私は真っ黒じゃないんで、先生に「染めてるんじゃないの?」とか言われたり。校則は大きかったかもしれないですね。高校で校則の縛りがなくなっただけで、周りは変わらず日本人の子ばっかりだったけど、とたんに楽になったのは、周りの子も解放されたんだろうな、って。
私、中学校の時に英語の成績で「3」つけられたんですよ。英語話せたのに。話せたから英語の先生から嫌われてたのかな。テストで100点とかとっても「3」をつけられて、父親も怒ってて。どういうことだって。
――明らかにおかしいですね。
おかしかったですね。それで高校は英語が学べる学校に行って。英語は、話せたと言っても、カンタンな会話くらいだったんです。発音だけは生まれつき聞いてたのでたまたまできたんですけど、話し合いができるような語学力は全然なくて。イギリスのハーフだから英語できるのは当たり前と思われて、でも日本育ちの私にはペラペラ話すなんて無理で、コンプレックスもありました。
――中学校の時の先生の対応はちょっとすごいですね…。他にも先生からはどういう反応があったんですか?
私がハーフだからいじめられてるって話した時の先生は、「みんな羨ましいからやってるだけだよ」っていう定番の返しをされて、何の解決にもならなくて。英語の先生も、自分が英語が苦手だったからか・・。私の英語の発音とかをみんなの前で直されたりとかありましたね。読み上げると「萌さん、発音が間違ってます」とか言われて、なので私はわざと日本語的な片言英語を三年間話すようにしてました。家では普通に喋ってたのに…。
――そんな先生の私情で成績評価をするなんて、教育委員会とかに言ったら本当に問題になるケースですよね…。
でも母親がそのことで一回、教育委員会に電話したんですね。でも、全然取り合ってくれなかったです。「先生の考えがあると思うんで」って、のらりくらりとかわされて。先生を庇ってましたね、完全に。受験の時は本当に困りました、内申点が重要だったので。成績の割に内申点が低くて、高校受験の時はすごく勉強しました。テストの点数を高くしないといけなかったので。
――進学とかその後の人生に関わりますし、医科大学の入試で女性が点数を下げられていた問題とも共通する深刻な問題ですよね…。
本当にそうですよね。
――高校生活のお話を先ほどされていましたが、その後、どのような経験をされましたか?
大学も、外国語がある学校に受験で進んで、スペイン・ラテンアメリカ学科に入りました。そのあと20歳の時に、スペインに一年間留学したんです。
それが初めての長期の海外経験だったんですけど、生まれて初めて、自分だけがハーフじゃないっていう環境を経験しました。語学学校に行ってたんですけど、みんないろんな国から来ていて、初めて「ハーフ?」「なにじん?」とか聞かれなくて。まずは「名前なに?」って聞かれるんです。それが新鮮で嬉しかった。それまではハーフ?って聞かれたり、顔や見た目についてコメントされるのが当たり前だったから。それがなくて、一人の人間として接してもらえる環境だった。まず最初に物凄い幸せを感じて、こんなに生きやすい世界があったんだ、ってびっくりしちゃって。解放されて、初めて本当の自分になれた気がして。
バーンって幸せを感じて上がったあとに、今度は逆にすごく下がっちゃったんですよ。幸せって思ったことで、中学とか小学校のときの記憶がバァッと戻ってきて、「なんで私あのとき…」「自分が日本人だったらあんな経験しなくて済んだのに」って思っちゃって。幸せを知っちゃったことで、私ほんとうは辛かったんだって気付いちゃったんでしょうね、目が覚めたというか。そこでアイデンティティクライシスみたいになっちゃって。この時が一番悩んでた時期だったかも。その時ぐらいからですよね、ハーフのことをもっと知ろうって思ったのは。最初は、ずっと日本にいて知らないまま、気づかないままだったほうが良かったのかなとも思って、一旦はすごく苦しかったんですけど、そのあとちょっとずつ良くなって…。
そのあとは友達関係とかも変わりました。ハーフとして自分のアイデンティティに悩んできたことを、小中高とこれまで友達や親に言ったことが一度もなくて、そういう気持ちがちょっとずつちょっとずつ溜まって、爆発して…。この時に初めて、自分の気持ちを打ち明けはじめたんです。心の奥にしまってた気持ちが溢れ出しちゃって。あの時ああだった、こうだったって。でもバーっと言っちゃった時、返ってきた反応は、私の思っていたのと違って。自分にとって大事な人と、この気持ちを共有できないのが、寂しくて辛くて、ひとりぼっちに感じて。今となっては、まわりは私を励まそうとしてくれてたんだなって、分かるんですけど・・。あの当時はただ苦しくて、人に理解してほしい、この気持ちを誰かに聞いてほしいっていう思いが、ただ膨れあがっていました。
スペインから帰ってから、「ブレンディーズ」っていうハーフのグループを作ったんです。とりあえず、気持ちを話し合えるグループを作りたくて。幼なじみでインドとのハーフの友達がいて、その子と一緒に始めました。最終的に30人ぐらい集まって、今でも家族みたいにつながってます。みんなで公園に行ったり、バーベキューしたり…。もっとみんな自分のことを話すかと思ったんですけど、意外と自分のルーツの話とかせずに、普通に遊んだり話したりするだけで、ある意味、黙っててもわかってるみたいな、そういう関係性がすごい心地よかったですね。日本人の子だと、集団の中にいても、まず「ハーフ?」って聞かれて、「日本語話せる?」から始まって、なかなか一人の普通の人として接してもらえないけど、ブレンディーズではみんなそうだから、わざわざ聞かれないっていうのが、すごく楽でした。他の人にとって当たり前のことが、初めて一緒にできたなって。
――日本に帰ってきて、その後はどんな経験があったんですか?
就活はもう、最初から嫌でやりたくなくて。グループ面接とかも私は浮くんだろうなって。合同説明会とか一回か二回行ったんですけど、すごいじろじろ見られるし…。周りとか企業の人にも。結局は外資のファッション系の会社に入りました。とにかく、日本の会社に入るということが怖くて、全員日本人のオフィスに自分が一人だけいたら、何か言われるんじゃないかって怖かったんですよね。外資は結局仕事が自分に合ってなくて辞めちゃったんですけど、働いてる人は海外とかハーフの人が多かったから、気が楽でした。その後、お金を貯めて夢だったピースボートに乗ったんです。
その中でいろいろと考える時間があって。その中で、ハーフのことについて講演会しない?って言われて、これまでの経験について喋る機会をもらえて。それが今の講演活動の原点だったかな。他にも船の中にカウンセラーの方が一人乗っていて、その方が優しくてたくさん話を聞いてくれて。私も悩んでる人のサポートをしたい、カウンセラーになりたいって思いました。その後ワーキングホリデーでオーストラリアに半年行って、帰ってきた後に通信制の大学で心理学の勉強初めて、カウンセリングの学校にも通いはじめました。
そのくらいの時期に、中学校の時にお世話になった先生に、ハーフや国際理解についてうちの学校で話さない?って声をかけてもらって、小学校で講演したんです。ちょうどカウンセラーの勉強している時期と重なったんですけど、話を聞いてくれた子どもたちがとにかく純粋で、私の声がまっすぐに届いたっていう実感がありました。それに、ハーフの子で助けを求めている子も多いなっていうことにも気がつきました。
カウンセラーになりたいと思った理由は、一番は、子どもの時に、もし自分より大人のハーフの人がいたら相談できたのになって思ったことが大きくて。まず、誰も知らなかったし、大人のハーフの人を見たこともなかったし、ロールモデルもいなかったというか。だから、子どもの時に、こういう大人がいてくれたらよかったのにな、という思いがあって、その大人に自分がなりたいなっていう思いでカウンセラーになろうって決めました。
その後はカウンセラーの資格をとって、今はオンラインで相談を受けてるんですが、他にも子ども向けのカウンセリングとか、子どもが癒されるようなワークを対面でしたいなと思ってます。ハーフの子に限らず、いろんな子どもたちのセラピーとかカウンセリングをやりたいなって。
――本当に相談したいと思った時につながれる場所があるのはとても大事ですよね。カウンセリングをしている時に、なにか意識されていることとか、気を付けてることってどんなことですか?
そうですね、一番思うのは、まずみんな根底に「自分がいけない」って思ってる部分があるんですよね。「自分がいけない」とか「ハーフだからおかしいんだ」とか「肌の色」とか、そこからまず考えていかないといけなくて。ハーフであることはいけないことでもなんでもなく、それでいいんだという。良いとか悪いとか、そういう評価対象ではないので、ただそういう存在なんだという。それを本人が受け入れられるようにと思っています。何かしらのマイノリティとして育った子は自己否定がすごく多くて、自己肯定感も低くて、その要因となっているのは社会の問題でもあって。ありのままの自分でいてはいけないという社会からのプレッシャーも強くて。ありのままの自分を見せると、嫌われたり、何か言われちゃったり、面白がられたりとか…。周りの期待に応えようとしたりだとか。ハーフの子だと外国人らしさを求められたり、日本人らしさを求められたりするなかで…、私もそうだったんですけど、本当の自分がわかんなくなってきちゃう人も多くて。その時その時でカメレオンみたいに態度を変えたりとか、それが心の中で負担になったり悩みになってしまうから。まずはそのままでいいんだよ、ハーフであることは間違ってもいないし変でもないんだよ。「あなたのままでいいんだよ」っていうところから入っていく。そこは時間がかかるんですけど。でも、周りがたとえ何を言ったとしても、まずは自分が自分のことを「自分は間違っていない、自分は愛されるべき存在だ」っていうのをまずは自分で認めていこうっていう、それが一番大切なことだと思っています。
【プロフィール】
ラッシュセリーナ萌 心理カウンセラー
インスタグラム@lapis_lazuli.counseling
心理カウンセラーのセリーナ萌です。「ちがいをこえて」をテーマに、多様性が認められる優しい社会を目指しています。Zoomを用いた個人向けのオンラインセラピーをはじめ、日英ハーフとして日本で育った経験から「国際理解」をテーマとした各地での講演活動や、教育現場への出張授業を通して、多様性を認めていくことの大切さを伝えています。
またセラピールーム ラピスラズリfor kidsでは、子どもたちが幸せに生きる力を身につけられるよう、心理学を取り入れた子どもが楽しめるワークを行っています。
オンラインセラピーでは、ハーフ特有のお悩みや、ミックスルーツのお子さんの子育て、国際結婚における夫婦関係などのご相談も承っています。オンラインでのご相談やセラピールームfor kids に関するご質問やお申し込み、講演会のご依頼はインスタグラムのダイレクトメッセージ、またはホームページよりお気軽にお問い合わせください。
(講演会・執筆情報)
2017年 愛知県内の小学校にて、国際理解教育プログラムの出張授業
2018年 鹿児島県にて開催の第19回日本いのちの教育学会分科会発表
ハフポスト「真ん中のわたしたち」にてコラムを掲載
漫画家の星野ルネさん・お笑い芸人のぶらっくさむらいさんによるトークショーにゲスト参加
2019年 愛知県主催、文部科学省後援による外国人児童生徒等による多文化共生日本語スピーチコンテストにてゲスト講演
2020年 愛知県内の小学校にて「ちがいをこえて」〜夢を追いかけること〜 出張授業 愛知県内大学にて留学生向けの出張授業(定期開催)
(保有資格)
日本総合カウンセリング普及協会 認定心理カウンセラー2級
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インタビュー:下地 ローレンス吉孝
(※この記事は、書籍『「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実』に掲載されているインタビューのロングバージョンです。)
◆書籍情報◆
「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実
平凡社、4月21日発売予定
本体価格1,600円
目次
第1章「ハーフ」の問題は社会の問題なの?
1 社会の問題として考えるってどういうこと?
2「ハーフ」の日常ってどんな感じ?
第2章それぞれの経験が複雑ってどういうこと?
第3章「ハーフ」のイメージと現実は違うの?
1「ハーフ」の歴史は日本の歴史なの? 2「ハーフ」のイメージはどうやって作られたの?
第4章「当たり前を問い直す」ってどういうこと?
1差別ってなんだろう?
2だれも「偏見」から逃れられないの?
第5章メンタルヘルスにどう向き合うといいの?
●各章の間に多くのインタビューを掲載しています!
●一人一人の経験、差別、社会構造と歴史、メンタルヘルス、人権など。ぜひお手に取り下さい。
出版社(平凡社)の書籍情報はこちら
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