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線上の子どもたち (by 温又柔)



線上の子どもたち

温又柔



***



 海の上には線がある。その線を跨ぐと、日本は台湾になり台湾は日本になる。飛行機ではいつも、目を凝らした。父の国と母の国を隔てる線を見てみたかったのだ。



 大人になる前に気がついた。そんな線はない。たとえ、あるとしても地図の上だけのこと。その頃には、気持ちが決まっていた。もっときちんと母の国の言葉を身につけよう。私ときたら、だめでしょ、聞きなさい、おりこうさん……母親が、幼児を叱ったり、なだめたり、あやすときの中国語しか知らなかったのだ。不行、聽話、好乖……それきりだった私の中国語はみるみる上達した。半年後には上海に渡るほどだった。


留学初日、あたしは南の生まれなの、と自己紹介する女の子がいた。


沖縄出身の彼女と台湾生まれの私は、行く先々で姉妹にまちがわれた。確かに私たちは似ている。背丈と体つき、笑うと三日月みたいに細くなる目……そして名前。



 明里と悠里。


 留学中は、アカリとユウリではなくミンリーとヨウリーと中国語風に呼ばれていた。



もう十年か、と受話器の向こうで悠里が嘆く。现在快要三十歲了!


 まだ十年よ、と私は言う。我们还很年轻!

 相変わらずのミンリー節ね、と悠里は笑い、ほんとに迎えはいいの? と訊く。

――大丈夫。メイリちゃんとのんびり待っててよ。

助かる、という声に笑いが滲む。迷子になったらすぐ電話してね。迷子になったとしても、日本語が通じる、と思うので私は気楽だった。何しろこの旅にはパスポートも必要ない。


 雨あがりの沖縄は太陽の匂いがした。雲間から洩れる光が眩しい。ブーゲンビリアが揺れている。路地の入口で立ちどまる。肌をくすぐる風の感触と光を撥ねながら繁る樹々の色に、ほのかな土の匂い。次の角を曲がると、母の生家がひょっこり現れそうだ。風にあおられる花々を見つめるうちに、生まれて初めて迷子になったときの記憶が蘇る。


二度と家に帰れないかもしれない、と想像して身を震わす私の頭上で、声たちが飛び交う。チレ・ギンナ・カナ・シ・リップンラン……親切で気の好い大人たちが自分について話しているのはわかったが、彼らの言葉で私に理解できるのはリップンとギンナーの二言のみ。

 ――お嬢さん、日本から来ましたか?


自分の知っている言葉が聞こえてきて、やっと私は泣きやむ。祖母と同年代の婦人から、お名前は何といいますか、と訊かれ、アカリ、と答えた。私をとり囲んでいた大人たちの間に安堵が広がる。


 中国語ができるようになったあとも、リップンとギンナー、それからティアーボーぐらいしか私は台湾語を知らなかった。


日本、子ども、わかりません。


雲が途切れて光がさらに明るくなる。ミンリー、と声がする。路地の先に、赤ちゃんを抱いた悠里の姿があった。


 ――女の子なら、明るい里と書いてメイリにしようと思ってるのよ。彼が提案したの。ぼくらの娘にとってこれ以上素晴らしい名前はないって。



 悠里は照れながら、アカリだとそのままだからね、と言い添える。その夜、私は、父の国に最も近い日本で育った女の子と友だちになる夢を見た。夢の中の私とメイリちゃんはどちらも十歳になったばかり。台湾語を囁きあっていた。


めんそーれ、と私を迎える悠里の目が三日月になる。


「ハジメマシテ、それとも、初次見面?」


 赤ん坊にそう話しかける私を悠里が可笑しがる。


「彼とね、明里のお父さんとお母さんは何語で育てたんだろうって言ってたのよ」

「知ってるでしょ。あたしは幼児が話すような中国語しか知らなかったんだから」

「あ、おぼえてる。好乖、でしょ」


その途端、アッ、と声がする。私たちは顔を見合わせる。あらあら明里にお返事したの? 小さな唇を愛おしそうに悠里は突く。ふふふ何語でお返事してくれたの? 明里、の代わりに、泰進と名づけられた男の子の顔を私ものぞきこむ。


 ――父親から一文字とったのよ。

 周賢進と出会ったのも上海だった。


日本人? そう訊かれて、半分だけ、と答えた。半分? 周賢進は人の好さそうな笑みを浮かべて続ける。ぼくは台湾から来たんだ。私は言う。あら、あたしの半分もそこから来たのよ。



――我从台湾来的。

(ぼくは台湾から来たんだ)。



――唉、我的一半也是从哪里来的。

(あら、あたしの半分もそこから来たのよ)。



あのときの周賢進は、いつか自分が、日本、それも台湾に最も近い沖縄で暮らすようになるとは思いもしなかったはずだ。


「周くんの日本語、ずいぶん上達したでしょ?」


「あたしもなけなしの中国語を忘れたくないから、あっちは日本語を喋ってこっちは中国語で返すっていう状態が続いてる。泰進の言葉はどうなっちゃうんだろう」

 そう言って悠里は笑う。


「そしたらあたしは、台湾語で話しかけようかな」

「え?」

「会社辞めたの。来月から台湾に行く。十年ぶりの留学よ」


泰進を抱く悠里の向こうに一筋の飛行機雲が見えた。待ち遠しい、という感情が込みあげてくる。新しい私の友だちと、泰進と、早く言葉を交わしてみたい。



(了)


温又柔



『十年後のこと』(2016年)河出書房新社、収録作品 書誌情報はこちら

※温又柔さんから「HAFU TALK」のために特別に今回この作品を掲載させて頂くこととなりました。



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温又柔さん

〈プロフィール〉

1980年、台湾・台北生まれ。3歳のときから台湾人の両親とともに東京で暮らす。両親や親戚たちが話していた中国語や台湾語を織り込んだ「ニホン語」で小説・エッセイ等を執筆する。今後も、「どちらでもなく、どちらでもある」という立場から、自分ではないだれかと今ここにいる喜びを分かち合うことをテーマに書き続けたいと望んでいる。

著書に、『来福の家』(白水Uブックス)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社)、『真ん中の子どもたち』(集英社)。最新刊は『空港時光』(河出書房新社)。



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