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「発信すれば、届く」:YSCグローバル・スクール代表の田中宝紀さんへのインタビュー

2018年5月に港区立男女平等参画センターで、「ホントは 多様な日本人 〜海外にルーツを持つ子どもたちから考えるダイバーシティ講座」が開催され、そこで日々海外ルーツの子どもたちの支援活動でご活躍されているYSCグローバル・スクール代表の田中宝紀(たなか・いき)さんと対談をしました。この度、この対談の《続き》として、田中宝紀さんがインタビューをお引き受けくださいました。テーマは、①6月18日に大阪で発生した地震の際、災害時の情報発信や支援のあり方について、②社会課題に関する情報発信を始めた経緯について、③田中さん自身のアイデンティティや移動・移住の経験について、お話をうかがいました。



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——先日、大阪で大きな地震がありましたけど、その時田中さんはすぐにTwitterで外国人向けの災害情報発信をされていました、そのような災害時の発信について教えてください。


なにか、こういう災害とか事件とかがあった時って、情報の受け手のマインドがある意味で狭まるんだけど、別の意味で広がるんですよね。助け合おうとする気持ちっていうのが、結構うまれるなというのはずっと思っていて。そういうときに、「how」が必要というか。「どうやって助けたらいいのか」っていうところがわかってないと、支援をしたいという気持ちを持つ人たちと、助けを求めてる人たちがうまく繋がらないのだろうなと感じます。


わたしの発信自体は、そういう「how」を提供した情報っていうのが割と拡散される傾向にあると感じていて、例えば、水戸の水害の時に、そういった無料支援のツールがあるんだよ、っていう情報をつぶやいたらたくさんの人がリツイートしてくれたんです。そのことがあってから、災害があったときには、誰でも助けられるとか、これさえ使えば助かる人がいるみたいなものを流して情報のハードルを下げたり、支援するときの壁を取り除けたらなっていう思いがありますね。あと、わたし自身が子育て中っていうこともあって、自ら現地に行くことができないので、自分ができることをと思って。いろいろな無料支援ツールをネットで掘り起こして、それを世に流すっていうことを意識してやっています。


こういう情報のリンクって、サイトの奥深くに眠ってることってあるんですよ。いろんな団体さんが多言語の資料を作っていたとしても、その資料にたどり着くまで日本語のページをかいくぐっていかないといけないようなことが多くて、そういう眠っている情報の掘り起こし作業みたいなものは意識して日頃からやるようにしています。保育だったら、保育に関する多言語の資料をまとめたりとか。もうすでにたくさんの多言語の資料がネット上にあるので、もっと可視化されてたくさんの人に使ってもらえたらと思っています。


——何かあった時に、こうやってすぐ対応できるのは、日頃からの動きっていうのが大事ですよね、、


そうですね、こういう資料が眠ってること自体を知っているということも大事だと思いますし、多言語化したらPDFのリンクを張り付けるだけでなく、「ここに多言語情報がある」ということ自体を多言語化したり、日頃からSNSなどで発信したほうが必要としている人には届きやすいと思います。


今回の大阪の地震の際には日本人の人が、困っている海外の方へちょっと声をかけるときに使えるものと、日本語を母語としない海外の人に直接届けたい情報の2種類を流していました。きっと、どちらか一つだけでも機能不全で、情報の性質そのものを見極めて、ターゲットの人々が情報を受け取りやすいように発信することが重要だと思います。拡散の際にリンクと一緒に張り付ける写真や画像も、外国人の人がパッと見てわかるようなものを選んだりといった工夫もしてます。日頃からTwitter上で発信を少しずつ試していて、こういう文言や画像をつけると拡散されたりされなかったり、という反応を見て分析したりしながら災害時の発信にも活かしています。


——こういった情報発信は、「how」がわからないけど助けたい・支援したいという人にとってもとても大事ですよね。


そうですね。多言語化された災害情報アプリがある、ということを知っている方が、困っている海外ルーツの方を見かけたときに、ちょっと声をかけるきっかけになればいいかなと思っています。今回の大阪での地震の際には、「ニッポン複雑紀行」というWEBマガジンで記事を書いたことがきっかけで知り合いになった通訳のセサルさん(※1)から、彼が勤めている翻訳会社が災害時の無料通訳を実施するというお知らせを聞いて、それを拡散したりもしました。わたしたちのような「支援者」やソーシャルセクターも横につながっていくことで、たとえネット上だとしてもセーフティネットをつくっていけるんだなと思いましたね。この私が発信したセサルさんの情報の見出しを、さらに別の方がTwitterのリプライで翻訳してくださったり、と、そういう広がりもあって、災害時のSNS活用に改めて可能性を感じました。


——その時に、できるひとが、できることをやっていくっていうことが大事ですね…!

わたしの情報発信てわりと前向きなんですよ。いまできることは何か、という。絶望的な状況でもいまやれることはなにか、ということを考えるような情報発信をなるべくするように心がけています。あえて良いメッセージをいかに発信するかということが、今は改めて重要な時期だと感じています。もちろん課題を伝えるために、たとえば海外ルーツの子どもたちの苦しい現状だったりという側面を発信することもまだまだ必要です。ただ、例えば海外ルーツの人々が暮らしていることで、社会にとってはどういったメリットがあるのかとか、あるいは、自分たちが変わることによって何が起きるのか、そのために今何ができるのか、というような、未来に向けて具体的に歩んでいく、そのヒントになるようなことを意識して発信していきたいと思っています。


ごくわずかな人のネガティブな声が大きくなっちゃうのがネット上で、それを社会が拾ってしまう。だから、そのごく一部のネガティブな声に勝るようなポジティブな発信をしていくということにチャレンジしたいと思ったんですよね。



——いやぁ…、私もこれまで発信してこなかった方なので、身につまされる…。(笑)



agreeでもそれを発信しないと、やっぱりダメだ、嫌だ、といった発信の方が強くなってしまう。もちろん、話題によってはそういう声が必要な時もあるんですけど。でも、良いものは良い、という発信もしていかないと、変わっていかないのではないかと思っています。



——研究者としては、身につまされますね(笑)。先行研究の批判では、重箱の隅をつつくように、ダメだダメだってやってくので(笑)。批判するだけじゃなくて、じゃあ現状の問題について何が必要なのか、どうすることが大事なのか、ってことも発信することが大切ですね。



わたしは実務家なので、何か課題があったときに、じゃあどうするのかっていうのをすぐに考えるクセがついてるかもしれません。課題を課題としてこねくり回さずに、それを解決するためには何が必要なのかということを常に意識してます。課題を解決できたら、将来はこんなふうになるんだってことを、積極的に開示できればと思います。



—なんか、こういう発信をしようと思うきっかけ、というか、経緯っていうのあるんですか?



2015年の2月に川崎で中学生の男の子が殺害された痛ましい事件がありました。その加害者の方がフィリピンにルーツを持っていたこともあって、その事件自体にというよりは、いわゆる海外にルーツをもつ子どもが日本で育ったときに、言語障壁とか、社会の中の居場所のなさとか、あるいは家庭の中の状況によっては、ある意味アウトサイダーにならざるを得ない状況っていうのがあり、そうしたこともしっかりと考えていく必要があるのでは、という内容をブログで書いたのですが、そうしたらそれが個人のブログにしてはだいぶ拡散されて、すごくたくさんの人に読んでいただいたんです。


そのときに、気づいたことが、「発信すれば届く」ということで、「私もそうだった」という感想を寄せていただいたこともありますし、「知らなかった。これは重要な課題だ」とコメントしてくださった方もいましたし、対談や執筆のお話をいただいたりとか広がりも生まれました。


その記事で書いた内容っていうのは、すごく特別なこと、ではなくて私たちYSCグローバル・スクールの教室の中で普段もおこってるような日常の範囲内だったんです。日本語を母語としない子どもたちにとってはあるあるの課題。でも社会ではその課題がまったく見えていなかったということだったんですねました。だからこそ、この記事が広がった。それ以来、今知ってること、わかってることを、みんなが知らないという状況を前提としてわかりやすく説明したり発信するということが必要なのだと感じました。


こういうことが大変なんだよとか、こういうことが積み重なって課題になってるから私たちはこう活動してるんだよ、こういう支援が必要なんですよ、ということを丁寧に段階を踏んで発信することで、「こんな課題があるの?全然気づかなかった!」と思ってもらえるように。意識しています。



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(後半に続く…! 後半は、田中さんが発信を進めていく上で大変だった経験や、田中さん自身のアイデンティティや移動・移住の経験にまつわるお話を伺いました!お楽しみを…)




田中宝紀さん プロフィール

1979年東京都生まれ。16才で単身フィリピンのハイスクールに留学。 フィリピンの子ども支援NGOを経て、2010年より現職。「多様性が豊かさとなる未来」を目指して、海外にルーツを持つ子どもたちの専門的日本語教育を支援する『YSCグローバル・スクール』を運営する他、日本語を母語としない若者の自立就労支援に取り組む。 現在までに30カ国、600名を超える子ども・若者を支援。日本語や文化の壁、いじめ、貧困などこうした子どもや若者が直面する課題を社会化するために、積極的な情報発信を行っている。


▼田中宝紀さん執筆のyahoo記事はこちら

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▼※1 セサルさんについて詳しい記事はこちら 「ニッポン複雑紀行」



語り手:田中宝紀さん

聞き手:下地ローレンス吉孝



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