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  • 執筆者の写真HafuTalkProjectTeam

多様な背景の生徒を前にして:安藤恒輝さんインタビュー記事




2018年、HAFU TALKはクラウドファンディングで活動支援を受けながらウェブサービスを開始しました。今回、その際ご支援いただいた一人である安藤恒輝さんにお話をうかがいました。安藤さんは海外ルーツや帰国生の生徒が多く在籍する駿台国際教育センターにて講師(2018年現在)をつとめていらっしゃり、生徒との向き合い方や文化の多様性についてお聞きしました。

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安藤さん:Twitterで河合塾現代文の小池陽慈先生からHAFU TALKのクラウドファンディングの情報がツイートで流れてきて、これは日本だけの問題ではないし、自分の職場の中でもすごく大事なことだと思って、応援できればと思いました。HAFU TALKというプロジェクトができて非常に嬉しいです。

下地:こちらでも現場で子どもや若者たちと直接かかわっていらっしゃる方から応援いただけてとても嬉しい限りです…。本当にありがとうございました。駿台国際で担当される生徒さんには、どのような背景の方々がいるのですか?

安藤さん:やはり、「ハーフ」や「クォーター」という区分だけではなくて、海外経験の長い子であるとか、これから海外へ行く子だとか、日本という一つの文化圏の影響を離れて暮らしたことがあったり、これからそういうところに入っていく中で、文化の違い、あるいは何かしら自分自身にとって「当たり前」だと思っている常識を揺さぶられる経験があって…。自分の意思とは関係なくそういう境遇におかれた子や、自分からそういう環境を選んでいった子もいます。

でも、よく言われるように、「帰国生」とか留学っていうと、日本だと、「おしゃれなこと」とかですよね…とてもポジティブなこととして捉えられている。

そういう面ももちろんあるんだろうけど、本人にとって見れば、戸惑いや苦しみがないかというとそれは確かにあるわけで。

そういう生徒と同じ時間、同じ場所を共有する、教える側の人間として、いつ相談されるかというのを、必ずしも待ってるだけではダメだ、という意識はあります。自分がそういうことが必要な時はできればと思っています。様々なことを勉強しなくてはいけないとも思います。HAFU TALKという一つのプロジェクトに幹として流れている理念や思いが自分の仕事上の必要なものと交差したっていう気はします。

日本では、同調圧力を非言語的な形で感じることが多くあります。「こういうときは、こうして当たり前でしょ」という言語化されない周囲の人々からの圧力が、あまりにも強い。

文化的に異なるルーツを持っている人にとってはわかりにくい形で、下手をすると排除の方向に向かったりしかねないという空気みたいなものがあります。生徒が、「今までと違うな」とか、周囲と合わせることに苦労するということはよく教室でも聞かれますね。

駿台国際というのは、そういった学生さんが多いので話しやすいというのもあるとは思いますね。

下地:僕もインタビューしていると、自分の悩みをやっぱり親に言えない、という意見も聞かれたりしますね。親のことを気遣って…。そういう意味では、駿台国際っていう場だったり、安藤さんの人柄もあると思いますが、言いやすい環境っていうのがあるのかなと思います。生徒さんからはどんな意見が聞かれたりするんですか?

安藤さん:ストレスのかかる形で「特別扱いされる」という意見がありますね。気にしない、という子ももちろんいますが。

あとは「文化的違い」についての意見もあります。日本だと物心ついたころから、やっていいことと悪いことが、相手の文化的背景は関係なく、問答無用の行動規範としてそれができて当然という「空気」というか、日本特有のものがあると思います。



文化的に溶け込めずに友達からいじめを受けたということを赤裸々にエッセイに書く子もいました。いじめられたこともあったけど、それを乗り越える過程で本当の友達ができたというエッセイを書く子もいました。

僕の感覚ですけど、そういうものを学校の課題だとか、塾の課題で書くことって、いまのその子を支えている体験なんだなと思いました。

こういう課題を書くときに、思っている経験を口に出すことについて、「場の空気を乱すからやめたほうがいいよ…」とか、「一般的な常識にあわせて書かなきゃダメだよ」みたいなことを講師が言ってしまう場合もあって、講師側も気をつけないとそれこそ生徒の成長に水を差してしまうと思います。

自分にとって大切なことなのに、場の空気を読んで「言っちゃダメ」というのはおかしいし、もしそうならちゃんとなんでそう言えるかということをちゃんと説明できないといけないと思うのです。

ただ単に「それは言っちゃダメだよ」っていうのは、生徒にとっては無闇につらいだけだと思うんですよね。

日本のローカルルールというものは厳然としてありますから、それを今すぐ変えようというのは無理ですけど、文化的に異なる経験を伝えようとしている生徒に対して、双方の文化的差異なども含めて説明できないと、そもそもコミュニケーションになってないと思うんですよね。

「言わなくてもわかるでしょ、日本はこうだから」っていうことではなくて。何の説明もないまま、「おとなしく大人のいうことを聞くもんだ」といって我慢する、っていうのは、今までの日本の「常識」だったのかもしれないですが、それが望ましい状況だとは全く思いません。異なる文化や常識をもつ生徒とのコミュニケーションは大切にしたいと思っています。

仕事上、生徒の点数を高める、志望校からの評価を高めるというのが大切で、短期間で成果を出すには、僕の話を黙って聞いて、それをメモして記憶してくれた方が早い場合はあります。



でもやれる限りにおいて、その子が思うこと、その子の考える力を昇華するような、そういう方向性に向かう限り、やっぱり「黙って俺のいうことを聞いて覚えなさい」っていうのは最低限にしたほうがいいというのが僕の意見ですね。黙って叱りつける、っていうのも時には必要かもしれませんが、自分だったら「ちゃんと説明してほしいな」とことも多いと思うので。結果として説教することはもちろんありますけど。しっかり相手の話を聞くこと、こちらがちゃんと説明することは心がけています。

実際には差異があるのにそれが無いもののように扱われているっていうことがあると思うんです。それに対してできることは、「言語化すること」だと思っています。言葉にすることで変わるだろうと。

本当に、子どもにとっては一言とか、些細なことが死活問題になったりするんですよ。大人でもそうですけど、一言とか些細なことがつまずいたりするきっかけになってしまったりするので。常識や普通だと思っていることが揺るがされるときは特にそうかもしれませんが。大人として丁寧な接し方はしたいと思います。


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安藤さんから語られたのは、「普通」や「常識」が決して一つではないこと、さまざまな違いがある生徒ひとりひとりの声に丁寧に耳を傾けよう、ということだった。

「こういうことが当たり前」「常識なんだから黙って従うべき」こういった言葉は塾の中だけではなく、日常会話やメディアの中でも時折聞かれるだろう。しかし、そういうときに、なぜそれが大切なのか、なぜそれが必要なのかを、丁寧に説明しようとする姿勢はどこまでみられるだろうか。

誇大表現や余計な修飾語ではなく、一人一人の声に向き合っていく姿勢を大切にしていきたいと、インタビューを終えて改めて感じた。

安藤さん、ありがとうございました!

CREDIT

インタビュー:安藤恒輝さん

聞き手:下地 ローレンス吉孝


安藤恒輝さんプロフィール

Festina Lente英語講師、教育研究会Festina Lent(フェスティナ・レンテ)事務局長。



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