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お笑いにおける人種差別的な言動について

HAFU TALKではあらゆる人種差別に反対します。

また、メディアや舞台などでのお笑いや漫才における人種差別的な言動について対しても抗議します。

例えば、「自虐ネタ」といっても、自分自身の差別体験を自虐的にお笑いに昇華して語る(仲間同士のあるある話として語られる場合や社会問題を公に問い直そうとする場合など)というものではなく、メイクやカツラなどにより人種的な他者を戯画化し演じることで行われる「自虐ネタ」は、自虐ではなく加虐にほかなりません。


人種差別的なお笑いのあり方に対して、「笑われ、笑うこと―人種差別はいつまで笑いのネタにされるのか」『早稲田文学増刊号 「笑い」はどこから来るのか?』下地(2019)から引用します。


"人種差別について「気にしすぎ」という批判は的外れだ。(中略:お笑いにおける人種差別的な)ネタは、表面化したそのごく一部にしか過ぎない。世間で話題になろうがなるまいが、日常生活の人々の暮らしのレベルでは、海外ルーツや「ハーフ」が日々同様のネタにさらされ続けている。"

"外国籍の人々がますます増加し、「ハーフ」や多様なルーツの人々が増え続ける状況の中、なぜ人種差別的なネタが「お笑い」になりえてしまうのだろうか。"


"特定多数に向けられたその言葉の先に、日本社会を生きる名前を持った一人一人、そしてその家族や友人や同僚がいることを忘れてはならない。"

"また、(お笑いネタとして人種差別的な言動をとった)かれらの無知だけが責められ、自己責任論で片付けられるべきではない。人種差別が無邪気なネタとして展開できるほど、それを問題だと教える周囲の環境が整っていなかったということだ。教育現場でも会社でも、人種問題を学ぶ機会はまだまだ少ない。人種にもとづくいじめの対策は学校教育の現場でより求められるし、会社でも社内研修でセクハラ研修やワーク・ライフ・バランス研修などと同様に、レイシャルハラスメント研修などが取り組まれるべきである。日本社会全体の課題として人種差別に真正面から向き合う必要がある。


「日本には差別はない」

「日本は島国だから人種問題は起こってこなかった」

「人種問題は外国の問題だ」


こういった言葉が頻繁に聞こえてくる。しかし、人種差別はまぎれもなく日本社会で起こってきたのだ。"

"かれらの日々の暮らしの経験を聞けば、社会でステレオタイプ化された「ハーフ」や「外国人」のイメージから強く影響を受けていることがわかる。


「ハーフなのになんで英語が話せないの」

「日本語上手だね」

「日本人以上に日本人らしい」

「あなたって日本人なの?」。


こういった人種的な偏見にもとづく声かけは日常茶飯事に経験する。ときには素朴な疑問として、ときには褒め言葉として、ときにはコミュニケーションのきっかけとして、ときには笑いとして、これらのカジュアルな人種差別が現れる。

この背景には、外見、言葉、肌の色、立ち居振る舞い、名前など......複数の指標から「日本人」と「外国人」とを明確に区分しようとする固定的で人種的な二分法が社会に浸透していることが挙げられる。 このようにステレオタイプ化され作られた人種イメージにもとづく偏見はメディアやお笑いや政治の空間で生み出され、日常生活に影響を及ぼす。"


"「ハーフ」に対する人種差別のネタが「笑えない」のは、これが現実にある種の効果をもたらすからだ。 一度発話された人種差別のネタは、それがSNSであれ、ライブであれ、日常会話であれ、聞き手に届けられ、誰かを傷つける可能性がある。繰り返される差別のネタは心に突き刺さり、精神的にも大きな負担となる。


「ハーフ」に対する差別のネタは社会の制度やシステムにも影響を与える。「日本人」と「外国人」という単純化された二分法が浸透する社会の中で、かれらの存在は不可視化されるのみならず、心ないネタによって周縁化や他者化を経験する。


「日本人は人種差別を経験していない」「日本人にとって人種差別は身近なテーマではない」といった言葉は、そこでの「日本人」という概念の中に、かれらの存在が一切含まれていないという事実を突きつけてくる痛々しい表現だ。こういった言葉が何の疑問もなしに語られる現状こそ、日本が人種差別の問題を十分に認識しておらず、「ハーフ」と呼ばれる人々を他者化し続けていることの証左でもある。このように「日本人」と「外国人」が固定化された上で展開される人種差別のネタは、社会システムに根付く強固な二分法の定着を後押しする。


これらのイメージによって、かれらは学校で笑いやいじめの対象となる。バイトや会社の面接で「外国人の方は面接できません」と言われ、不動産では「この物件の大家さんが外国人の方には部屋をお貸しできないと言っています」と言われる。路上では、普通の格好で歩いているだけで警察官にとめられ、いきなり「在留カードかパスポート見せて」「荷物検査するからバックを開けて」と言われる。人種差別のネタが全く笑えないのは、かれらの日常生活を見れば一目瞭然だ。かれらを他者と捉え、差別をカジュアルに語っていく姿勢は、日本社会に浸透する差別のシステムを温存させるどころか、より一層固定化させてしまう。


小さな声でもよい。「そのネタ、なにが面白いの?」「それ、おかしくない?」と問い返していく必要がある。差別を助長するボケを、お笑いのボケとしてスルーさせない、的確なツッコミを加え続けていくことが大切だ。"

参考文献

ケイン樹里安(2017)「「ハーフ」の技芸と社会的身体― を介した「出会い」の場を事例に」『年報カルチュラル・スタディーズ』( 5)

下地 ローレンス吉孝(2019)「笑 わ れ 、笑 う こ と ― 人種差別はいつまで笑いのネタにされるのか」『早稲田文学増刊号 「笑い」はどこから来るのか?』早稲田文学会. (

括弧は内容の補足)

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