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他者とふれ合う中で、自分を「編み直す」ということ:現代文塾講師・小池陽慈さんインタビュー



HAFU TALKクラウドファンディングのリターンの一環として、安藤恒輝さん(インタビュー記事はこちら)のお知り合いである小池陽慈さんにお話をお聞きしました。
小池さんは現在、河合塾・河合塾マナビス博耕房にて現代文講師をされており、『無敵の現代文記述攻略メソッド』(かんき出版, 2020年)や『大学入学共通テスト 国語(現代文) 予想問題集』(KADOKAWA, 2020年5月15日発売予定)などの著者でもあります。

小池さんには、日々仕事で生徒と接する中で大切にしていること、そして他者と触れ合う中で「自分を編み直すこと」について、お話をうかがいました。

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小池さん:(HAFU TALKをご支援くださった経緯について)Twitterで企画のことを存じ上げまして、たまたまなんですけど、やっぱり自分の経験と重なり合うこともあって、「これは運命だ」と。

下地:Twitterで発信されている情報なども見てても思うのですが、小池さんの国語の授業はかなり深堀された内容だなと思いました。僕も公立高校のころ、たまたま国語の先生が授業でかなり考えさせるタイプで、宮沢賢治について深堀させて、ある意味では境界線上について考えるような授業で。他の歴史の先生とかは年号覚えさせるだけだったりして、「自分で調べて考えるしかないか」と思っていたんですけど、国語の先生は違っていて。小池さんもツイートを見ていると生徒さんとの間でかなり重厚な授業をされている印象がありました。

「国民国家」論的なお話もそうですが、これまでどういった経緯で講師になられたんですか?

小池さん:簡単に言うと、もともと研究者を目指して大学院まで行ってたんですけど、いろいろありまして、退学してしまったんですね…。

ちょうど2002年に修士課程に進学しているんですが、その頃はちょうど、カルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアリズムなどのテーマがかなり流行っていた時代で。1996年か97年ぐらいに、『現代思想』でスチュアート・ホールの特集号が出たんですが、僕らの頃はあれがもう、あの本を読んでいることがかっこいいみたいな、ファッション化された部分もあったかもしれませんが、そういう時代でした。僕もどハマりして…。

僕も宮沢賢治を対象としていたんですけど、あとは、「アイヌ」がテーマでした。僕の通っていた大学には、当時、語研という施設がありまして、そこで田村すゞ子先生のアイヌ語講座を学部一年生からずっと受講していました。それで、いわゆる「国語教育」、正確にいうと、「国語教育科の近代文学専攻」で、国語教育における「一言語一民族一国家」的な制度っていうのを相対化していく営みとしての「アイヌ文学」がやりたくて、宮沢賢治もやっていたんですけど、その上でポスト・コロニアリズムの理論っていうのが一番しっくり来たんですよね。

そこで出会ったのが、(フランツ・)ファノンと、(ガヤトリ・)スピヴァクで。この二人に対する思い入れっていうのは強いですね。ちょうど修士課程にいたときに、小倉千加子先生っていう、心理学者の、『松田聖子論』とか書いてる方なんですけど、その小倉先生から、ファノンについていろいろ聞きながら。難しくてなかなか理解できなかったんですけど、そのときにとてもハマりました。

下地:僕もファノンの『黒い皮膚、白い仮面』を読んだときは衝撃がすごかったです。読んだ後若干鬱っぽくもなりましたが笑、そこから自分の考え方が結構変わったと思います。あの本はファノンが植民地主義の話をしながら、実は自分自身の精神を分析していく本ですよね…。

小池さん:文体に血が滲んでいるような感じですよね。サルトルとも深いかかわりのある人ですが、実存主義的なエクリチュールとでも言いましょうか、痛々しい文章です。

それから宮沢賢治にも興味を持つようになって…。宮沢賢治の語彙の中には、明らかなアイヌ語であってたり、エスペラント語由来の言葉も出てきたりするので。賢治のテクストが、教科書に一つでも載っているだけでも、「日本語」っていうものの可能性であったり、枠組みをずらすことにつながるのかなと思いますね。

下地:普段はどんな感じの授業をされているんですか?

小池さん:僕は90分あったら、70分は本文を読むことに充てますね。その後、全体の流れを圧縮して行きます。問題はあまり解説しないです(笑)。基本的には現代文であるので、文章を正確に読解していくっていうことをチェックしないといけないという部分を徹底しているんですけど、いま入試で出題される文章って、結構、いわゆるゴリゴリの「国民国家」論だったりとか、「国語」っていうものを、制度として対象化していくっていう文章、例えば田中克彦さんやイ・ヨンスクさんの文章が出るので、そこらへんを扱う時は国民国家論的な話をガンガンします。

現代文っていうのは、問題の解き方というよりも、ある意味アカデミックな部分の話をしていくことが、得点につながっていったりもします。もちろん、議論しすぎてしまうと受験の枠を超えてしまうので、そこは仕事としてセーブしながら話すのですが。

それこそ、「国語」という制度について批判を加えているような文章をこれから読む生徒は、そもそも論として、まだ「国語」という制度についての概要すら知らないので。「国語」というものがこういう経緯でこういう風にできてきたんだよ、ということを教えています。

例えば、北海道の「旧土人保護法」について、「これが廃案になったのは1997年だよ、君たちが生まれたぐらいの話だよね」という話をすると、一気にザワってなるんですよね。僕はあんまり「背景知識」っていう言葉は好きではないんですけど、そういった形で、文章の筆者たちが「常識」として考えているもの、国民国家を批判している人たちが「国民国家」という概念をどう捉えているか、ということをある程度イメージできることは、受験においても強いことなので。そういう話はしっかりとします。

僕自身も中高のときにはこういったテーマについて全然考えられませんでしたし。語弊を恐れずに言うなら、そういうことがわかってくると、文章を読むのが楽しくなってくるっていうのもあります。

この前、1980年代ぐらいに書かれた文章を解説したんです。そこに書かれてあることが、要するに、メディアが垂れ流す言葉っていうのを鵜呑みにしてしまう人間が、結果としてナチスみたいな権力者を支えてしまって、大いなる惨劇が引き起こされる、という話だったんです。

ルワンダの映画が最近はツイッターなどにも流れていて、子ども達もそういう歴史を知ってたりするんですが、それが起こったのが20世紀末じゃないですか。あれも、最初はラジオから流れるヘイトスピーチのようなものから始まったんだよという話をしています。

そこで、「考えてほしいのが、この文章が書かれたのは80年代だけど、ルワンダの虐殺がおこる十数年前にかかれていたんだよ」ということを伝えて。

特に、現代文で対象としている文章っていうのは、「今の問題」を伝えていると同時に、「未来、将来のこと」を伝えているんだよ、っていう話をしています。「今から2,30年前に書かれた文章が主題にしているテーマって、現代社会でもう解決していますか?」っていう話をしたり、そこでヘイトスピーチの問題を話したり。現代もこういう問題があるよねということを共有して。

結果として、こういう文章を通じて理解したことっていうのが、今の社会の問題点であると同時に、自分たちがこれからクリアしていなかければならない課題、より良き未来をつくっていくための課題なんだよっていうことを伝えています。

「なんで大学がそういう文章を入試問題で選ぶのか、君たちに対して出題するのか、っていったら、そういうことを考えてほしいからだよ」って。だから、入試の現代文で得点とりたかったら、得点とることは一回置いておいて、一度書いてあることをちゃんと理解して、それを自分のこととして考えてみようと。

それは、絶対自分自身の将来や、自分たちの子どもの将来とか未来をよりよくするために必要なことなんだ、と。で、最後に追加すると、そういうことやってると、点数も伸びるよ、って話してます。

現代文の文章を通じて、自分たちのことを相対化して、結果、自分たちの手で自分たちの未来を良くしていく、大学に行くとはそういうことなんだよ、という話はしています。

下地:生徒さんの反応はどんな感じですが?

小池さん:それが、意外なぐらい、みんな真剣に聞いてますね。たまたま良い生徒に恵まれているっていうのもあるんでしょけど。斜に構えてるのは意外と少ないですね。

一見クールを装って「何が?」って感じでやってるような子も、授業が終わった後とかに議論しに来たりするんですよね。あと嬉しかったのは、浪人生だったんですけど、「この話を聞いて、紹介された本を読んで、それで大学に入ってやりたいことがわかった」と言って専攻を決めてくれた生徒とかもいて。それはすごく嬉しかったです。

これは僕は声を大にして言いたいんですけど、思ったよりも子ども達は、そんなにドライじゃないです。むしろ、ドライであることを強制されちゃってるんですよね。

ちょっと話がズレてしまうんですけど、最近、政治的な話題っていうのは、我々予備校の講師はとても敏感になってしまうんですね。やはり、いろいろあるので。

そういうものに対して、ある意味ストイックに育てられたのがいまの子どもたちで。変な話なんですけど、公的空間に政治の言説を持ち込むということに対して前向きな姿勢をとろうとすると、「ダサい」っていう空気があったりするんです。だけど、実は子どもたち自身がそういう空気に対して違和感を覚えているということがあって。だから、そういうことを発言することは全然かっこ悪いことではないんだよ、っていうことを伝えたいとは思ってます。

そうなれば、それこそもっとみんながアンガジュマンというか、政治にコミットメントしていけるのかなという。本当はみんなコミットメントしたいと思ってるんですよね。だから誰かがポンと背中を教えあげられればと思ってます。それが自分の役目だと思ってます。

(HAFU TALKを応援してくださった理由として)やっぱり、授業をしていると海外にもつながりがある子どもたちがたくさんいたり、あと僕の子どもと同じ歳の子たちにもそういう子がいるのが当たり前になってきているので。やっぱり大人たちが意識改革していかないといけないなと思いまして。

僕も学校時代にはいわゆる「ハーフ」の友達がいたんですけど、まだ人数的にも珍しいという時代でもあり、やっぱりクラスの中では浮いていたというところがあって。でも今の若い世代では海外につながりがある人がクラスのなかで普通になってきていて。僕ら世代でちゃんとそういう過去の負の意識を断ち切っていかないといけないのかなと思います。

それこそ今まで不可視化されてきた人々の歴史など、知らないといけないことがあって、そういうことを学んで、自分を編み直していかなきゃなと、そう思います。

HAFU TALKや金村詩恩さんの書籍を読んで、「移民の話」っていうのは最近の話ではないと。自分自身も、旧植民地での日本語教育の資料とか結構調べて学んでいたはずなのに、固定観念に支配されてしまうと、やっぱり移民の話は最近の話なんだと思い込んでしまったりしますよね。いろんな人間を相手にする職業なので、いろんな立場の人の経験をわかっていないといけないなと。分かり切るのは無理かもしれませんが、そもそも解ろうとしないのは最悪だな、と。そういう意味で、こういう発信はとても助かります。

下地:僕もいろいろ調べてはいてもまだまだ知らないことがたくさんあります。「しらない」という状態を責めるのは良くないですが、基本情報というか、一人一人がどういう生活をしているのか、っていう身近な人たちの声をつたえたいなと思っています。僕の母親も日本生まれ日本育ちだけど、いまだに「日本語上手ですね」と言われたりしていて。それで僕がインタビューをすると今の若者も同じことを言われている。ちょっとずつ、発信していくことで知ってもらえたらなと思います。

小池さん:僕は理解者って言ってはいけないなと。自分は転勤族ではあったので、転勤した人たちの気持ちは代弁できるかもしれませんが、それ以外の人たちの気持ちを「わかっている」とは言えないなと。

ただ、できることはあって。僕、岡真理っていう思想家が死ぬほど好きなのですが、かれこれ、20年くらいは追っかけています。追っかけと言っても、本を読んでるだけですが(笑)。その岡真理さんが、自分の原体験として、韓国の女性、済州島を故郷とする友人とのとあるやりとりについて語ったんですよね。

済州島について論評する言説、それはいわゆるリベラルな言説ではあるんですけど、それについて韓国の女性と電話で語り合っているときに、岡は、彼女の沈黙のなかに、「あなたはわかってない」というような思いを読み取って、すごくショックで。じゃあ自分はどうすればよいかを考えて、彼女は出来事の「分有」っていう言葉を使うんですけど、どうやったら出来事の「分有」というところまでいけるのかというのを考えていて。

相手から話があったときにリアクションをする、そのリアクションは間違ってしまうことがある、でも間違ったら相手から反応がある、ということをずっと続けていく。というのを読んで、僕はとにかく、自分と立場の違う人からの何かしらの発信についてリアクションしなくちゃなと、そう思ってます。それを続けていけば、理解し合うことはないでしょうけど、行為それ自体がなにか次の段階につながればなと思っています。

僕の中の、根源的な、原体験っていうのがありまして。先ほども言いましたが、学生時代、田村すゞ子先生っていうアイヌ語の専門家がいらっしゃって、その研究室に出入りさせてもらって。

そのころ、アイヌ語の昔話を二、三個話せるようになっていたりもして。その田村先生のご紹介で、実際に千歳のアイヌの鮭祭りというのに参加して、「ウポポ」っていう輪唱歌なんですけど、その歌をみんなで歌ってという体験があって。

そうしたときに、僕は純粋に歌詞が知りたかったんですよ。「この歌詞、どういう意味なんですか?」って、そこのおばあちゃんに聞いたら、それまですごく和やかに話してたのに、すごい冷たい声で「知らないよ」って言われたんですよ。その時に「あっ」っと思いました。

アホな学生だったので、知りたくて聞いただけなんですけど、その方にとってみれば、僕はアイヌの文化を搾取した側の人間なんですよね。

アイヌ語では「和人」を「シサム」っていいますけど、彼女にとって自分は文化の簒奪者としてのシサムなわけですよね。それを前提として会話してくれてたのに、僕はそれを全くわかってなくて。

向こうにしてみれば、ある種、自分の心の母語というものを奪った人間に、「この歌詞の意味なんですか?」って聞かれて。彼女がそれに対して「わからない」っていうのは、要するに、「あなたたちが奪ったんでしょ」という、わたしはこの歌は歌えるけど、言葉が奪われたから意味はわからない、そういうことでしょ、という。

奪った側になんでそんなことを聞かれなくちゃいけないんだ、っていう。おそらくですけど、そういう思いをひしひしと感じて。そのときに、さっきの岡真理の本を読んで、あの体験と同じだ、と思ったんですよね。

それ以来は、とにかく、自分の世界の外、自分が知らなかった人々にふれたときには…。知らないことは罪ではないけれど、向こうが発信していることに対してはリアクションしていかないと、というふうに思うようになりました。

あの経験はうまいこと言葉にはできないのですが、僕の中ではとても大きい経験です。岡真理は「ポジショナリティ」っていう言葉をつかうんですけど、他者からの応答によって、自分も気付けていなかった自分の特権性が可視化される、それをもうリアルに経験したので。あれが僕の原体験になってます。

そこで、もっと勉強していきたいと思ったし、対話を止めようと思わなかったし、自分を編み直していこうと思いました。それにまつわる本を読みあさったりして。

その経験は絶対に忘れないもので、記憶しつづけることで、学び続けていきたいと。彼女の記憶を僕が受け継ぐことはできないですが、彼女の経験を僕が違った方向で体験してそれを分有することはできると、そういった意味での対話のプラットフォームはこれから増えつづけて行くだろうし、僕らはそこにコミットメントし続けていきたいなと思います。

内田樹だったと思うんですけど、この前授業で扱った文章で、僕がいいなと思った言葉があって。対話をしていて相手に対して「わかった」と発言する行為というのは、遂行的に対話を止める行為だ、と。「もう、わかった、わかった」ということは、端的にいうと、「お前のことは理解した」「お前と話すことはもうない」という意思表示になってしまうと。下手したら、相手を否定し、その場から去れというメッセージになってしまいうると。

ということは逆に言うと、対話においては、もちろん相手とわかり合うことが目的なんだけど、「分かり合えないこと」によって対話は遂行されていくのかなと。「あぁ、なるほど」と思って。

だから、そういった意味で僕は、自分と立場の違う人のことを、もっと言うと、自分以外の人間のことを「わかった」とは言いたくないし、やっぱり、実はわかっていないんですよ。わかったつもりにはなりますけどね。

これも岡真理の本の受け売りなんですけどね、こっちが100%わかったといったとしても、相手からの反応があって、わかってないということが遂行的に判明してくと。それに対して、どれだけ真摯な対応をとれるかという、そこが一つのテーマではあります。そういう意味でも、HAFU TALKのサイトはいろいろ知る上で有り難かったです。

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自分以外の他者について、理解し合う対話を続けることはときに苦痛を伴うこともある。理解できず挫折しそうになることもある。

そういったとき、「分かり得ないことによってこそ、対話は遂行されて行く」という小池さんの言葉はとても印象に残るものだった。

このインタビューは新型コロナウィルスの感染が拡大するより以前に行われたものですが、他者への想像力、政治に対する発話など、現在の状況でとても重要なメッセージが込められていました。

CREDIT

インタビュー:小池陽慈さん

聞き手:下地 ローレンス吉孝


小池陽慈さんプロフィール

早稲田大学教育学部国語国文科卒業。同大学大学院教育学研究科国語教育修士課程中退。

現在、河合塾・河合塾マナビス、および博耕房で現代文を指導。

以下noteで読書案内や現代文の学習法などを公開しております。

https://note.com/gendaibun

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