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「私たちは一人じゃないよ」みちみちるさんインタビュー

更新日:2021年5月23日

みちみちるさんは1993年生まれ、アメリカ人の父と日本人の母を持ち、幼少期からの自分の生い立ちやハーフとして生きる自分の事を発信するインスタグラムアカウントを運営中です。みちみちるさんのインスタアカウントはこちらです。


(この記事は、書籍『「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実』に掲載されているインタビューのロングバージョンです。書籍情報は記事の最後に記載しています。)


***


――お生まれはどちらですか?


生まれは、九州の福岡県になります。かなり田舎の出身で、田んぼとか畑とかあるようなところ。父は東京で働いていて、母は福岡で小学校の教師をやっていました。私が生まれる頃にはすれ違いがあったようなのですが、母が福岡で私を育てた方がいいかなと判断して、そこで自分も生まれ育った感じです。





昔からおしゃべりだったこともあり、子どもの頃は大人からよく声をかけられて、構ってもらえてましたね。ただ、見知った子ども達との間では大丈夫だったんですけど、アウェーな場所に行くことが苦手でした。知らない人から「見て、あの子」みたいに指をさされたり、「アメリカ人だ」と言われたり。外国人=アメリカ人みたいな発想で安直に言われてしまうということが幼少期からあって。今でも新しい所に行くことが苦手です。マジョリティの人でそういう人ももちろんいると思うんですけど、昔からインドアというか、知ってる場所の方が得意というか。



私の小中学校のときは、同じようなアメリカのハーフの大家族がたまたまいて、ハーフがいることが普通だっていう雰囲気をその家族が作り上げててくれたので素直に馴染めました。小中学校の頃は環境的にはありがたかったというか、ハーフっていうのが特別なものではなくて一つの属性みたいな感覚で。周囲も、ハーフだからっていうことじゃなくて、メガネをかけてるとか、まじめとか、そういう他のところで私を判断してたように思います。いじめられたりっていうのもあったけど、それはハーフだからというわけではなくて、真面目だからとか、人にハッキリと言ってしまうような性格に起因することでしたね。その時は傷つくけど、いじめてきた子と話し合って仲直りしていきました。



中学校になると今度は、髪の毛の色に対していろいろ言われるようになったかな。自分の小学校から半分と他の小学校から半分入ってきていた学校だったので、新しい出会いもありつつ。先ほどの一家も同じ中学に入ってたこともあり、中学校でもそこまで酷いことはなかったんですけどね。でもやっぱり目立つから、いじめっ子にいじめられたりっていうのはありましたね。あと、修学旅行とかは全然知らないところに行くので、そこで別の学校の人からからかわれたり。制服に刺繍された私の名前をみて、外国の姓なので、「えー変な名前」とか言われたのは結構傷付きました。あとは、社会の授業で戦争の話になった時に、アメリカが原爆を落としたという話で「え、お前の国じゃん」っていうことを言われたりだとか。クラスのちょっと素行不良な子たちはからかう材料でルーツのことを言ってきたことがありましたね。私もその子のこと全然気にしていなくて、こっちもからかい返したりとかしてましたけど。


だんだん中学生になると女の子が見た目のことを気にするような年頃になってくるじゃないですか。それで先輩から、「男好きなんでしょ?」と言われたりとか。ルーツと関係あるかわからないんですけど、そういうことを言われて。嫌なふうに、「この子は男に色目を使うから」みたいな感じで扱われて…。そんなことなくて、勉強熱心な方でしたよ。結局、中学校のときはルーツに関してものすごい傷ついったってことはあまりなくて。でも、外に出ていろいろ言われたりとか、学校でも何か言われたりとか、嫌な経験は満遍なくしてはいたんですが、そこまで心の奥にグサっと届くということはなかったですね。


高校からは、地元と離れたところに通うことになったので、ゼロからのスタートだったんですよ。知り合いがいないところから始まって。都市部の学校だったんですけど、意外と高校が一番暗い思い出が多いし辛かったです。中学校までは環境が良かったんだと思います。私の場合は高校で一気に、今までなかったことが起こって。高校から私のアイデンティティ・クライシスと鬱が始まりましたね。


見た目の話も、目の色、髪の色をずっと言われたり、知らない子にも噂の材料にされてたりだとか。先生たちも、私が暗くなっていじめられちゃった後からは、なんだか腫れ物を扱うような感じで、授業でも当てられることが無かったです。私が下向いてたのもあるかもしれないですけど。進学校っていうのもあって、みんな受験に響くじゃないですか、周りもそれをわかるから、この子と関わらない方がいいなって思われてたのかな、どんどん孤立しちゃって友達もいなくなっちゃって。別のクラスに何人か友達はいたんですけど、しょっちゅう会いにいくこともできないですし。自分のクラスではもう、三ヶ月ぐらい一言も口を聞かないような時期もありました。学校に通っているけど、ほとんど下を向いてて。私のよくない噂を流して私を孤立させる子がいて、その子のターゲットにされちゃったんですよね。ルーツがらみのこともあって、「髪の毛黒く染めればいいのにね」みたいに言われていました。


特に身体的なことで言うと、高校二年生ぐらいの時、髪の毛がすごく赤茶色になってものすごい明るくなってしまって。それもあったのか、やっかみじゃないですけど、その髪について言われたのがめちゃくちゃショックでしたね。好きな人を学年中にバラされて、その人と話せなくなっちゃった事も相当トラウマになりました。メールアドレスを知られて、いやらしいメールみたいなのを送られたりもしました。高校生になってからは道を歩いてても、ナンパとかが始まっちゃって、そういうのもすごく嫌で、怖かったですね。高校生に声かけるなんておかしいやろって。大体大人の男性ですからね、声かけてくるのは。ナンパは大嫌いです。向こうは数打ちゃ当たるって思ってるんでしょうけど、こっちは当たってるんですよね、流れ弾が。高校の時なので、初めて言われた時は「えっ」なって、怖くて何も反応できないから。「無理」さえも言えなくて、首を横に振るしかなくて。怖かった。そういえば中学校の時に声かけられたりもあったかな。一回、連れ去られそうになったことがありました。腰をグイッとされて「こっちおいで」って。「いや!」って大きな声で言ったら、どっかに行ったけど…。いろいろな意味で目立ってしまうので、悪い人も寄ってくるし、そういう弾にあたりやすくなってしまうのかなって。


ハーフの女性と日本のルッキズムの問題っていうのはすごく関係が深いなって思いますね。そういう話を相談していた先生は一人いました。担任の先生ではなかったんですけど、話を聞いてくれるだけでも心が救われて。担任の先生はいじめの対応ができる先生ではなかったので。いい先生ではあるんですけど、頼ることができなくて。見当違いな助け方もされたり。他の生徒の様子もみなきゃいけないってこともあるんでしょうけど、私は自分でどうにかこうにかのらりくらりと過ごしました。名前だけは立派な学校だったので、いじめが原因でそこをやめるのはもったいないと思い、毎日登校さえすれば卒業できるからって相談した先生に言われて、卒業まで頑張りました。母とはけんかじゃないですけど、結構ぶつかった時期で。八方塞がりで、自分の仲間は誰もいないって思ってた時期なんですよ、高校の時が。勉強もこんな状況でできるわけなくて、成績もガタガタで。ほぼほぼビリッケツでした。ボロボロではあったんですけど、お母さんが最後に「生きてくれてたら、それでいいから」と言ってくれて。わたしもそれだったらできるかなって。希死念慮がすごかったので、ちょっと危ない行動しながら生きてるみたいな。結構酷かったですね、精神的にもまいっていたから。朝の4時とかまで寝れなかったり、学校に行こうと思っても、家の前で足が止まっちゃって動けなくなったりとかも結構ありました。外で気分転換に散歩しようにも、外でも人に見られるから嫌で。過食症が始まったのも高校の中頃からでした。たくさんお菓子を買っては食べ、それでストレスを解消するみたいな感じ。酷かったな、今思うと。一番大変な時期でしたね。「生きてればいい」っていう言葉で、落ち着いて、いや落ち着いてはないんですけど、まぁ一日一日をのらりくらりとやりすごすので精一杯みたいな状態。死ぬ勇気はないけど、消えたいみたいな感じでしたね。黒い髪、黒いカラコンを入れたら周りと馴染むんじゃないかとか、そうなるわけないんですけど、そんなことを考えたりもしましたね。


私の高校時代は、ティーンエイジャー特有の女同士のいがみ合いの中に、ハーフのルッキズム問題を携えて入ってきちゃったのが、あらゆる角度から悪い方向に出たような感じだったと思います。みんな好奇の目線を向けてくるけど、私とお付き合いしたい交際したいには絶対に至らないんですよ、なぜか。全くモテなかったです。高校の時は、みんな、私を人間として見てるんじゃなくて、「ハーフの女の子」ぐらいな感じで見てたんだなって思います。そこに私はいなかったというか、「ハーフ」だけが一人歩きしてる。それを感じたな。


それで、高校生活はぐずぐずだったので、一浪して。行きたかった大学は二回受けたけど落ちたので、隣の大学にいきました。勉強に疲れちゃったので、自分の好きなことをやろうと思って、美術系のコースに入りました。大学は、結構楽しく通えました。女子校みたいな感じで、男の子があんまりいないコース。美術系って変わった人も多いので、自分が逆にまともに感じました。変わってる子が多いから、私でもやっていけそうって、なんだか肩の荷がおりて。進学校の頃は、すごい自分にならなきゃ、頑張らなきゃっていう重圧があったんですけど、大学では好きなことをのびのびと、毎日楽しくできてれば良いんじゃないって思って生活できました。


それでも大学の外ではいろいろありましたね。バイト先の図書館では、「日本語わかるんですか?」とか言われて、その場で泣き崩れて過呼吸おこしちゃったこともありました。田舎ということもあって、道を歩いててぶつかられて「ソーリーソーリー」みたいなのとか、顔だけで判断されて嫌な思いしたり。目線とか視線とかがとにかく怖かったですね。大学の時もやっぱり一時期鬱っぽくなってしまって、高校での経験のフラッシュバックも続いていたのもあって。1週間も外に出られなくなったりとか、この先どうなるんだろうとか、いろんなもので大学三年生ぐらいにきつくなってきて。


大学になってから長期休みの時にアメリカに行くようになったんですよ。アメリカではジロジロ見られないから、ストレスがないことに気づいて。ストレスがなくて、ご飯も適量で過食もしなくなったので、こっちの方が心身共に健康に過ごせるぞって。だんだんアメリカに住みたいなって思うようになってきたんですよね。


いとこがポートランドに住んでいて、部屋も余っているからそこに住みなよって言われて。大学三年生の時は週一でカウンセリングを受けてたんですけど、アメリカに移住しようねって決まってからは、前向きになって。お金貯めようと思ってスーパーと図書館のバイトを掛け持ちしました。卒業制作も無事に完成させて。移住っていう展望が決まってからはとりあえず、この状況から抜け出せるっていう光が見えたのでがんばれたというか。前に進めたなって思います。


そして卒業後、ポートランドに移住しました。1年半か2年ぐらい住んでましたね。楽しく人生を謳歌したというか、いやなことも時々あったけど、初めて人生をちゃんと歩んでいる感じがして。向こうでは翻訳関係の仕事をしていました。アメリカでは、ありのままでいいんだな、日本の部分も持ってて自分なんだなっていうことを受け入れられるようになっていきました。それで結構元気になっていったのかなと。



そのとき、インスタグラムを見ていたら、自分の経験を絵にして発信しているアカウントをいくつか見かけたので、私もこういうことやってみようかなと思って。私の視点から書いたものを見てもらえるかなって気持ちでアカウントを始めました。


――「ハーフ、日本に生きて。」っていう投稿とか、とても印象的でした。2018年ごろでしたね。コップの例え話がとても伝わりやすいと感じました。「日本語上手ですね」とか、「何人?」とか、毎日毎日聞いてるとしんどくて、許容できる範囲から溢れていくというか。


ありがとうございます。コップの例え話でわからないときは、例えば、身体の一部を触ってみて、一度触っただけだったらなんともないけど、毎日毎日何度も同じところを触ってたら擦れて赤くなってきて最後には血も出たりしますよね。そういう伝え方もしたりしてます。


良い反応が9割ぐらいで、同じ悩みを抱えてるってことをハーフの子からメッセージもらったり。同じ経験をシェアできるっていう喜びがありました。地方とか、周りにあんまり同じ境遇の人がいないという状況の子だと、特にシェアできないから。シェアできない、イコール、私だけが悩んでる、自分がセンシティブすぎるんじゃないかという気がしますよね。私もずっとそう思ってたし、私のお母さんも「あんた、これぐらいでこんなん言いよったら、生きていけんばい!」なんて言うし。ハーフの子、同じ悩みを抱えてる子が、少しでも気持ちをシェアできて苦しみを分かち合えたら。こうやって考えたらちょっと元気になれるよね、とか、いま辛いけど、みんなでちょっとずつ変えていけたらいいよね、とか。そういう気持ちで始めて、良いコメントももらった時は本当に嬉しくて。そうやってメッセージをくれる人には、いつも「私たちは一人じゃないよ」って言うようにしています。遠くでも今はこうやってネットもあるし、心もつながってて、あなたのこと応援してるから一緒に頑張ろうねって。


その後、日本に帰ってきてからは、初めて日本で就活をしました。バイトもしてたんですけど、バイト先のおばちゃんから「あなたの日本語はほんとに変」みたいなレイシャルハラスメントも受けました。日本独自のルールみたいなものを、私が外国のルーツがあるからかわからないんでしょみたいな決めつけをする人だったので。流石にこれはあからさまだなって思いましたね。日本でする初めての就活は結構、怖かったところもあったんです。40、50代の男性と話したりすると、会社の人でも、外でも、「日本には人種差別はない」みたいなことを言う人が多いんですよ、本当に。話していて、私が「こういうことあったんですよ」って言うと、「それは他の国に比べたらあんまり無いほうでしょ?」みたいな。いやいや、なんで他の国と比べちゃうの、日本は日本でしょっていう。この日本で経験してるから、日本には人種差別はあるって思うんですけど、彼らはやっぱりマジョリティだから自分が経験しないことは、無いことだとされちゃうんですよね。


――こっちが話してるのに、こっちの経験までも「無いもの」にしようとしてる、というか…。


そう、本当に。そういうことを言われると一層、「やっぱり発信しないといけないな」って逆に思わされるというか。この世代にはまだ浸透してないんだなって。新聞に取り上げて頂いたときは幅広い年齢の方にも読んでいただけたので、いろんな人に届く方法でやっていきたいと思います。インスタに力を入れて、いつかはコミックエッセイとして出版することにつながったらいいなって思ってます。ハーフの子どもをもつ親御さんだったり、いま悩んでるティーンエイジャーや大人だったり、ルーツを持ってる子どもたちに、同じ思いをしてる人はここにもいるよって自分の人生を見せることで、同じようなタイプの人の一つの生き方を知るって結構大きいことかなって思ってて。読みやすい媒体で発信したいと思ってます。


【プロフィール】

みちみちる/1993年生まれ/アメリカ人の父と日本人の母を持つ/幼少期からの自分の生い立ちやハーフとして生きる自分の事を発信するインスタグラムアカウントを運営中


こちらはみちみちるさんのインスタに掲載されている画像で、アメリカで見たり経験したことについても描いていらっしゃいます。


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インタビュー:下地 ローレンス吉孝

(※この記事は、書籍『「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実』に掲載されているインタビューのロングバージョンです。)



◆書籍情報◆


平凡社、2021年4月21日発売

本体価格1,600円

目次

第1章「ハーフ」の問題は社会の問題なの? 

1 社会の問題として考えるってどういうこと?

2「ハーフ」の日常ってどんな感じ?

第2章それぞれの経験が複雑ってどういうこと?

第3章「ハーフ」のイメージと現実は違うの?

1「ハーフ」の歴史は日本の歴史なの? 2「ハーフ」のイメージはどうやって作られたの?

第4章「当たり前を問い直す」ってどういうこと?  

1差別ってなんだろう?  

2だれも「偏見」から逃れられないの?

第5章メンタルヘルスにどう向き合うといいの?


●各章の間に多くのインタビューを掲載しています!

●一人一人の経験、差別、社会構造と歴史、メンタルヘルス、人権など。ぜひお手に取り下さい。

出版社(平凡社)の書籍情報はこちら



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