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執筆者の写真HafuTalkProjectTeam

「まず知ることが大切」あんなさんインタビュー


あんなさんはアメリカで生まれ、両親の離婚をきっかけに、1歳のときに日本に引っ越しました。当初、東京で母と暮らしますが、3歳の時に母の実家の祖父母の家に引っ越し、幼少期は祖父母に育てられたといいます。小学校は受験して入学し、その後、母親の再婚とともに小学校三年生から高校までを主に米国で過ごし、日本の大学に入りました。いまはTwitterで「あんな」(@annaPHd9pj)というアカウント名で発信しています。


***


――小学校での経験について教えていただけますか?


小学校で受験したのは祖父母の判断でした。地元の公立の学校に行くよりも、お受験して入った学校の方が、私みたいなミックスルーツを持つ子どもにはいいのではないかということで一生懸命受験をして無事合格することができました。しかしいざ入学してみると、周りはお医者さんのお子さんや、議員のお子さんなど、みんなお父様が「先生」と呼ばれるような仕事をしているご家庭のご子息が多くて。もしかしたらアジア系のミックスの子がいたかもしれませんが、少なくとも私が知る中ではいませんでした。小学校に限らず、幼少期に私と似たような背景を持っている子に出会う機会はほとんどありませんでした。


そういう特殊な家庭のクラスメイトが多かったためか、イジメが多い学校でした。私も入学と共に、もれなくイジメが始まりました。「ガイジン」と呼ばれるのはほぼ毎日。いつしか当たり前になってしまいました。朝授業で教室に入ろうとしたら、クラスメイトに通せんぼされ、「お前はガイジンだから、パスポートがないと教室には入れないぞ」と言われたこともありました。当時英語は話せなかったのですが、英語の授業の時に当てられて、答えられないと「ガイジンのくせになんで英語ができないんだ」と言われたりもしました。それまで仲良くしてたような子が、「お母さんから『ガイジンさんとはお友達になっちゃダメ』って言われたから今日からは遊べない」って言われたりだとか。


学校の校則で、登下校の際は歩いて行くか公共交通機関を利用し、送り迎えが禁止でした。私の住んでいる周りには同じ学校に通う子がおらず、毎日一人で登下校をしていたのですが、ある日、日向ぼっこをしていた家の近くに住むご老人の方が、私が通りかかった時に、ツバを吐き、「この毛唐め!(外国人に対する差別用語)」と言われたりとかもありましたね。当時7、8歳だったと思うのですが、怖くなってすぐにお家に帰って、祖父母に「『毛唐』って何?」と聞いたら「誰がそんなこと言ったんだ!」と祖父が憤慨していたのを覚えています。その御老人は当時90歳ぐらいだったので、戦争も経験されてるでしょうし、ミックスの子を見慣れていなかったのでしょうけど、それ以降はバス停までは祖父が車で連れて行ってくれるようになりました。


その後も「毛唐」とか「雑種」とかは言われることは多々ありました。担任の先生は、私の母校で教えることをキャリアの段階の一つと考えてらっしゃる先生も多く、問題が起きても毎度真剣に取り組んでくれる先生は一人いたかいなかったかくらいでした。


――逆に、教育の研究してるんだったら、ちゃんと対応しようよって思いますよね…。


そうですよね。目の上のタンコブじゃないですけど、先生からしても多分、めんどくさい存在だったのかなっていうのは、今思えばありますね。


その後はアメリカに渡り、現地の公立学校に通っていました。 その間日本での学校生活に憧れを抱くようになり、中学2年くらいの時に思い切って一時帰国しました。今度は地方ではなく、東京の学校に編入しました。

学校自体は帰国子女も多く、オープンな雰囲気だったのですが、それでも「英語喋って」「ハーフかっこいい!」など、いじめではないものの自分の人種について言及されることは毎日でした。


学校の外では水泳を習っていたのですが、そこは学校と違い閉鎖的な空間でした。チームメイトから「アメリカ病が移るから、プールには一緒に入りたくない」と言われたこともありましたし、「アメリカから来るって聞いたから金髪かと思ったら全然違うじゃん」とも言われました。それが今から12年ぐらい前の出来事ですね。

そういった経験が蓄積し、それが私の中で日本のイメージとなっていきました。

小学生の時よりも自分がはっきりしてきたこともあって、小学生の頃とはまた別のショックがありました。まさか、国際都市東京でそういうこと言われるとも思っていなくて。今までは地方だったからしょうがなかったんだって自分を説得していましたが、東京でもそういうことがあるっていうのがショックでした。


アメリカの大学受験は日本で言う中学三年生から準備しなければいけないということもあって、日本滞在は半年程で終了しました。高校四年間のGPAや、その期間のボランティア経験等が必要になってくるので、出遅れないようにアメリカに戻りました。それに加え、日本でこのまま大学受験ができるかって言ったら、それまで小学校三年生から英語教育のみを受けてきて、日本の大学受験は難しいだろうという判断もありました。日本の大学の帰国子女枠の受験っていうのも、たしか帰国してから何年かっていう縛りがあったので、多分中二で帰ったところでそれも受けれなかったと思うんです。アメリカに戻った理由はどちらかというとそういうテクニカルな理由ですね。


――ちょっと戻っちゃうんですけど、小学校の頃は道にいるおじいさんから言われたりとか、通学途中でも…。


公共交通機関を使って行かなきゃいけなかったので、私はバスに乗って通ってたんですけど、ジロジロみられたりとか、バスの中で知らないおばさんに「ガイジンさん」って言われたりだとか。もちろんマイナスなことだけじゃなくて、祖父母とスーパーに行ったら、試食のおばちゃんが「あんたハーフだから」ってウィンナーを二つくれたりだとか(笑)。小さい頃は、写真を撮りたがってくるおじさんとかいましたね、顔の。「珍しい」って言って。お飾りみたいな扱いだったのか、悪いことももちろん言われたんですけど、変な扱いですよね、変に祭り上げるじゃないですけど。知らないおばさんに、「これ、本物?」って言って、まつ毛を引っ張られたりだとか。


結構、キリがないぐらい毎日毎日、言われるのが当たり前でしたね。それを言われるのが当たり前だから、それに対して親や祖父母に、「私はこういうことを言われて嫌なんだ」っていうのが…、まず自分が嫌だと感じていることを認識すらできていなかったと思うし、「嫌なんだ」って思っていいっていうことすらわからなかったし。自分の中で、嫌だっていう気持ちを感じているっていうことも言語化できていなくて。ただ、自分がそういう風に扱われるっていうのが当たり前なんだっていうか、嫌だけど、しょうがないものなんだって、幼心に感じていて。


例えば、幼い時にバレエをやっていたんですけど、日本で初めての発表会の歌が「青い目のお人形さん」っていう歌を先生に選ばれたりだとか。逆にアメリカでバレエに通い始めた頃の初めての演目は「マダム・バタフライ(「蝶々夫人」)」だったんですよ。だから、なんかもう、そういうふうに変なラベルをつけられて。私、青い目でもなんでもないのに、って。そういうのを「当たり前」として受け入れなきゃいけないもんなんだなっていう思いは…。例えば、誰かが背が高かったり低かったりだとか、そういうものと同じように、受け入れなければならないものなんだなって、そういうふうに思ってましたね。わりと最近までそういう風に思ってました。


――アメリカに行ってからはどうでしたか?


テキサスに行ったのは、継父のお仕事がそこだったからっていう理由だったんですけど。やっぱりテキサスっていうのはアメリカの中ではすごく保守的でしたし、アジア人の人口も少なくて。入学した先の小学校は、学生の9割以上が白人でした。非白人がいたとしても、完全にアメリカナイズされた2世3世のヒスパニックの方がほとんどでした。


私は祖父母に育てられたので、舌が古風というか、毎日漬物と梅干しとごはんと味噌汁で育った人間なんですね。なので、アメリカについた時になにも食べれなかったんですよ。そこでガリガリになってしまって。でも唯一、そこでも手に入る食品で食べられるメニューがおにぎりとリンゴだったんですよね。なので、母が毎朝お弁当におにぎりとリンゴを詰めてくれていたのですが、それもまた嫌な注目を浴びてしまう原因となってしまいました。


ランチタイムになるとみんなでカフェテリアに移動して決められたテーブルにみんなで集まって。そこでアルミホイルに包まれたおにぎりと、タッパーに入ったりんごを出したら、「黒いゴミを食べてる」とか言われて。当時まだ寿司とか海苔が浸透してなかったんでしょうけど。リンゴも、皮を向かないで食べるのが当たり前の中、私のお弁当の皮を剥かれたリンゴがなんだかわからなかったらしく、「生のじゃがいもを食べてる」って言われて。そういう食事の面では結構言われましたね。引っ越した当初は英語も全然できなかったので、それで馬鹿にされたりだとか。つり目のポーズもされましたし。喋りかけようとしても、「チンチョンチャン」って言われたりだとか。その時に、日本もアメリカの同じなんだなと落胆しました。


母からは、アメリカに行けば、アメリカは移民の国だから、あなたみたいな子はたくさんいるから、日本の学校で経験したようなことはないんだよって言われて、それを信じてアメリカに渡ったら、全く変わんないじゃんって。先生からも「Are you from China?(中国出身?)」って聞かれて、「No. I’m from Japan.(いいえ、日本からきました)」っていうと、「Oh, same thing(え、おんなじでしょ)」って言われたりとか。担任の先生がお休みで代行の先生が来るたびに、出席確認の際「I can’t pronounce your name.」と読む気もないまま名前を呼んでくれなかったり。高校生の時に世界史の授業で戦争のことをやったときには、数週間私のことを「Hiroshima」って呼んだりだとか。歴史の先生に、「広島に原爆を落としたのは日本を救うためだよ」って熱弁されたりだとか。


今思い返すと、酷いよねって、今だから言えるんですけど、当時は本当にこういうものなんだなって。私はハーフとして生まれて、ミックスレイスとして生まれて、こういうなんかわかんないけど、変なものを背負っていかなきゃいけないんだなって変に受け入れてしまって。嫌なこと言われた時に、「違うんじゃない?」って言わずに、ニコニコ笑いながら過ごしてたっていうのが、私の10代までのほぼ全てですね。


ハーフとかミックスが独特のマイノリティだなって思うのは、レイシャル・マイノリティっていう観点ですごく独特だなって思うのは、自分のマイノリティ性を家族とシェアできないっていうのが。多分、今まで指摘受けたのは、障害を持ってる人もそうだって言われたことあるんですけど、自分がこういうこと言われて嫌だとか辛いっていうことが、家で共有できない。すごく独特な孤独があるマイノリティだなっていうのは大人になってから理解するようになって。っていうのも、うちの母親は完全にカラーブラインドネス派(人種を気にしない、人種は関係ないという意識や発想)だったんです。「あんなちゃんは、そのまんまで可愛いし、あなたはあなただし、ハーフとかミックスとかは関係ないし、人種なんて関係ないところで頑張っていけばいいんだよ」っていうのが彼女のメッセージだったんですけど。彼女なりの善意ですよね。でもそれって結局よくなかったなっていうのを今振り返って思っていて。自分が当時、当たり前に感じていた嫌な気持ちをすごく矮小化してしまう言葉なんですよね、それって。「そんな小さなことで悩んでるなんてばかばかしいんだから、そんな肌の色で悩むぐらいだったら、勉強がんばろうよ」みたいな。そういうものが、もちろん彼女の善意で、励ましのつもりで言ってるし、当時の私もそう思おうと頑張っていたし、私自身、自分に言い聞かせて少しはそう思うようにしていた時期もありましたが、やっぱり腑に落ちない。母も知らないような経験や影響だとかっていうのがあるわけで。


たまに、SNSでもミックスの子どもの親から、「子どもとどうやって接すればいいですか」って相談されたりもするんですけど、そういう時は「カラーブラインドネスというか、人類皆きょうだいみたいなアプローチはやめてくださいね」っていうことは言うようにしていて。まず、親の立場では彼・彼女の経験はわからないんだっていうことをまず知ることが大切だっていうことなんじゃないですかっていうことは言うようにしてるんですけど。私の母は、日本で生まれた日本人で、継父はアメリカで生まれた白人で、二人ともマジョリティなので、全くもってレイシャル・マイノリティではない人たちなので。レイシャルマイノリティの苦悩がそもそもわかるはずがない。


さらに振り返り祖父母はどうだったかっていうと、カラーブラインドよりもさらに上をいくような、「お前は誰がなんと言おうと、日本人だ」っていうタイプでした。「お前はこうやって毎日納豆も食って、受験で小学校に受かったし、日本語だってこんなにペラペラで、お茶だって立てることができるし、こんなに日本人なんだ」と。幼い頃からよく言われてたのは、「日本人以上に日本人らしくしなさい」っていうことで。習い事はたくさん通わせてもらいましたが、中でもお習字だったりお茶だったり、すごく和風な習い事にも通っていました。勉強や習い事でも常に一番であるように言われて、塾には幼稚園から通い、小学校では塾の梯子をしていました。幼い頃は塾も習い事も大好きだったので、あまり気にしていなかったのですが、今考えると祖父母は一生懸命私に武装させていたのだなと思います。学校でいじめられても、大人になって何を言われても負けないように、と。


私に対しては、「色々な経験を積ませてあげたい、武装させてあげたい」という思いがあったと思うのですが、対外的には私がバカにされてしまうことを極度に恐れていたように思います。


例えば、幼い頃からピアノを習っていたのですが、田舎ですので、ピアノの練習をするとご近所さんにも聞こえるんですよね。なのでピアノの練習をする際には常に「発表会のつもりで弾きなさい」と言われていました。


祖父母も私を通じて私がどれだけミックスであるが故に辛い思いをしているかを見ていたので、それから守ろうと、未然に防ごうと躍起になっていた時期があったように思います。いくら口では「あんなちゃんは日本人」と私に言い聞かせても、やはりそうでないということを嫌でも感じることが多かったのだと思います。


その中でも印象的だったのが、町内の子ども会に私が入れさせてもらえない、という事件がありました。それ以降、特に祖母がご近所づきあいに対するトラウマを抱えるようになって、近所の同年代の子どもとは遊ばせてもらえなくなりました。町内にも心ないことを言う子どもはいましたが、それよりも大人たちの方が色々と言っていたようです。


家にいる時は外に遊びに行かず、逆に外で遊ぶ際はわざわざ遠出するようになりました。今思えば私を守りたかったんだなと理解できますが、当時は子どもだったので「どうして遊びに行っちゃいけないの?」と祖母をよく困らせていました。


このような経験を通じて、過剰適応じゃないですけど、余計に変な日本人プライドみたいなのが出来上がってきて。私はあなたよりも漢字が書けるし、日本の文化や歴史を知っているんだよ、みたいな。でも、結局、どんなに成績が良くても、楽器が弾けても、歴史や文化を知っていても、常に自分の日本人性が問われる。これは所謂”普通の”日本人の方だったら無いことなんですよね。自分から自ら「私はこんなに日本人なんだよ」と証明することを求められないのがマジョリティなのだと気付いたのは大人になってからでした。本来ならばそういうのは普通の生活していたら問われないことなんだなっていうのは、何年も経ってわかりましたね。「日本人かどうか」みたいなものは。毎回毎回、自分の日本人性みたいなものを相手に披露し証明してから、やっと話が始まるみたいな。ワンクッション変な会話があるっていうのは今でも思いますね。ただ、普通の日本人だったら、普通の日本人っていうのもわからないですけど、ルックスもアジアンで日本人とアイデンティファイする人だったら、まず聞かれないだろう文化的な質問から会話が始まるっていうのは変ですよね。


――あとは、さっきのお話にあったように、日本もカラーブラインドネス的な発想の意見があったりしますよね。「人類みな地球人」みたいな。しかもかなり善意をもって言ってくる場合があって。そういうものに対しては、どういうことは本当は大切なんだよって思いますか?


カラーブラインドネスって、やっぱりこう、マジョリティ側が安心する言論だと思うんですよね。まず、違いをわざわざ勉強しなくていいじゃないですか、カラーブラインドネスを唱えることで。具体的に、あなたと私で何が違うのかな、どうしてその違いがあるのかなっていうことをまず知らずに済むっていう意味で、楽なんですよね、そういう方が。みんな感動とか、綺麗事が好きじゃないですか。だから綺麗事が好きで、めんどくさいことが嫌いな場合は、カラーブラインドネスはすごくわかりやすいし、食らいつくと思うんです。でも、まずは、「違うことって、それ、悪いことなんですか?」っていうことを考えなきゃいけないですよね。まず、違うことイコール悪いことなわけではないですよね。日本は多分、同じであることが正義である、っていうことがあまりにも浸透しているので、それが疑問として提示された時に、そこを考えるっていうことの負担が大きいのかなっていう。でも悪い人にもなりたくないから、「人類みなきょうだいだよね」「肌の色とか関係ないよね」「みんな同じだよね」って言ってしまうのかなっていうふうに私は思うんですけど。でもそれって実は、各々がもっているこれまでの違う人生経験とか文化的背景っていうものをリスペクトしない、完全に否定する選択なので。それは聞こえはいいかもしれないけど、実はすごく、尊厳を傷つけている言動なんだよっていうのは思いますね。だって、同じじゃないですから。そういう違いを完全にゼロの状態にしまっていて、まるで違うことが悪いことってしてしまっているようにも捉えられますよね、逆に。「人類みな同じだよ」っていうことが「良いこと」だと理解されれば、「人類みな違うよね」っていうことが「悪いこと」に転換されてしまうので。良い悪いの単純な話じゃないですけど、やっぱり違いがあるという前提を完全に無視してしまっているというのがカラーブラインドネスの発想じゃないかなと思いますね。


違いを理解した上で、大事な部分は一緒だよねって言うんだったらいいと思うんです。違う文化的背景や違う肌の色だからといって、例えば知的レベルで何が優劣があるよねっていうことではなく同じだよねっていうことならわかるんです。でもカラーブラインドネスは逆のことをしてしまっていて、文化的差異みたいなものは全く勉強しないまま「同じだよね」って言っておきながら、結局、学校とか職場とかになってくると、「〇〇系ってこうだよね」って優劣をつけるような発言があったりとか。結局薄っぺらい表面的なものになっているのかなって思いますね。


アメリカも日本と似た状況がありますよね。「What are you?」っていうのも何回言われたことか。私は意地でもそこで、「I’m American」って言って。アメリカで生まれてもいるし、自分が日本人である分だけ、アメリカ人でもあるので。


アメリカと日本の違いっていう意味では、性的な意味でのオリエンタリズムみたいなものがありますね。性的なアプローチとして、自分のバイカルチュラル性が使われるっていうことはありすね。キャットコーリングの問題っていうのがあるんですけど、その中の一種として、「エキゾチックだね」っていうのがほめてるじゃないですけど、「君はすごくエキゾチックでセクシーだね」みたいなのが、気持ち悪いんですけど、アジア系が好きな男性がそういうふうに言ってきて。英語も喋れるし、日本ともつながりがあるし、ちょどいいみたいなそういった意味でオリエンタリズム的な意味で変なことを言われたりっていうのはありますね。逆に、日本でも全然平気で、居酒屋の酔っぱらったお兄ちゃんとかが「ハーフの女とやりたいんだよね」とか言われたことあるんで。オリエンタリズムっていう意味ではアメリカとは違うんですけど。


日本では、日本語も話せないような外国人の方に話しかけに行く勇気はないから、ちょどいいみたいな感じで、理想化されやすい立場なのかなって思いますね。幼少期に周りからいろいろ言われたっていうことももちろんですけど、やっぱりこう10代以降になってくるとそれが性的なものに変化していくっていうのがあって、それは日本でもアメリカでも共通してるかもしれないですね。


やっぱり、どうしても雑誌とかに出てるモデルさんとかハーフで、その人の顔を見たりパーソナリティを見て美しいって言ってるのではなくて、「ハーフ美人」っていう言葉があるぐらい、そこが同意語として使われているようなところがあると思っていて。でも、ハーフって一言で言っても、もちろん顔も背丈も体型も十人十色なんですけど、でもハーフ美人っていう前提がある中で、それっていろんな有害性があって。まずハーフの女の子に対してルックスにコメントすることが肯定されてしまっている、なぜならば、ハーフと指摘することが褒め言葉と同じようなことであるっていうことが社会的な意味をもってしまっているので。


以前、ネイルをしてもらってた時に、「ハーフですか?」って店員さんに聞かれて、またかって思って「そうです」って答えてたんですけど。「ほんとに綺麗ですよね」みたいな感じで言われて。「私、お客さんによく、ハーフじゃないってわかってても、『ハーフじゃないですか?』って聞くんですよ」って言われて。「え、なんでですか?」って聞いたら、「そうやって指摘されると、すごく喜ばれるんですよ、お客さんに」って言われて。ほんとになんかこう、そこがだから社会的に「ハーフ=美人」「ハーフ=褒め言葉」みたいなポジティブな意味合いであるっていうことが表面上だけ浸透してしまっているから、なおさら、私が「ハーフとかって言われるのがあんまり好きじゃないんだよね」みたいな話をしたときに、「なんで?褒め言葉なのに」みたいな方向になってしまって、「あんなちゃん、考えすぎだよ」とか、「褒めてるんだから、いちいち気にしないほうがいいよ」みたいな方向にいきやすくなってしまうんだなっていうふうに思いますね、特に女性の場合は。やっぱりメディア上でミックスの女優さんとかモデルさんとかが多用されているといっても、だからと言ってレプリゼンテーション(代表/表象)されてるというわけではないので、ミックスの我々が。そういうイメージは害しかないですね。


だから私も、「ハーフって言われるの好きじゃないんだよね」っていうのは結構勇気がいることですね。「なんで?だって褒めてるのに」みたいに言われることが多いので、そうなってくると、そうやって指摘することすらダメなことなのかなって、一時期、もっと若い頃は思ってましたね。


――その後、高校や大学などはどんな感じでしたか?


高校一二年生ぐらいのときに、祖母が他界して。死目にはあえずに、反抗期真っ只中な状況で亡くなったのでそのことを後悔して。それから、高三ぐらいの時に祖父が難病であるってことを知りまして、じゃあ日本に帰ろうってなって、そこで祖父と暮らして。そのままアメリカの大学に行く予定だったんですけど、地元の日本の大学に通うようになりました。祖母のこともあったので、大学の頃は本当に記憶がないくらい、一、二年生の時に取れるだけ単位をとろうと思ってとにかく勉強してましたね。祖父の先も長くないので、早く看病できる状態になれるように。サークルも入らなかったし、バイトらしいバイトもしなくて、すぐに単位をとって。それで四年の初めぐらいに祖父が亡くなりまして。


大学でもいろいろありましたね。それはハーフだからというより、女だからということなんですけど、大学の教授から「やっぱり女の子がついでくれたお酒の方が美味しいな。」と言われたのがとても気持ち悪かったのを覚えています。最初は「これは日本の文化だからしょうがない」と自分に言い聞かせて、ハーフに対する発言同様ニコニコして受け入れていたのですが、違和感を払拭することはできず。そしてだんだん周りの日本人の女の子も実はそういった扱いが嫌だと思っていることを知り、そこで初めて「日本の文化」と「女性差別」を別ものとして理解できるようになりまいた。


日本に帰ってから、「女なんだから」とか、「女のくせに」っていうことを結構言われるようになりまして。それとハーフという二つの要素が重なり合い、「ハーフなんだからそんなに勉強しなくたって、エリート男性と結婚したらいいのに」とか言われましたし。


――あんなさんはTwitterでもすごく発信されてますけど、特に自己紹介カードの話が印象的でした。


あんなさんが作成した初対面カード




毎日毎日「ハーフですか?」って聞かれるので、普通にネタでもなんでもなく初対面での自己紹介カードを書いたんですよ。ある日、カフェにいたらいきなり知らない男性から「お姉さん、外人さん?」って聞かれて、それで怒って、その時に一気に作りました。それで、その後に友達にそのカードを見せてたら、「それすごくいいよ、そういうこと言われなきゃ私もわからなかったって言ってくれて。それはどんどん言ってった方がいいよっていわれて。それで、Twitterにアップしたら、それがたまたま多くの人の目にふれたっていう感じでしたね。ポジティブな感想も多くて、そういうふうに思っていたなんて知らなかったから今度から気をつけていきたいって言ってくれた人もいました。でも、それを上回るバッシングもすごかったですね、傷つくこともたくさんありましたし、幼い頃から言われてきたようなことを再びネットでも言われるようになって。


ミックスルーツの経験って、何がどう良くないのか、具体的に説明しないとわかりにくいテーマだと思うんですよね。だから、多分ハーフが「これって差別だと思うんだよね」って言っても、伝わらないことの方が多いっていうのが肌感覚でもありますね。口頭で直接伝えるのも難しい中で、SNSで伝えるっていうのはさらに難しいですよね。


ハーフの自己紹介カードを載せて、さらにショックだったのが、私より10歳以上年下の子が「わかるー」って言っていて。中学生とか、へたしたら小学生ぐらいの子に共感されてしまうっていうことが私の中ですごくショックで。10年、15年経ってなにも変わってないんだなっていうのを知ってしまって。いまでもショックですね…。




あんなさんが伝えたいメッセージ


ミックスルーツを持つ中学生の皆さんへ。


皆さんは、ミックスルーツを持つことで、他の同級生よりも少し考えることが多い十代を送られていると思います。私は長らく自分のアイデンティティに悩まされ、今でも度々考えさせられます。そんな中、私が自分の感覚を理解するために役立った考え方を皆さんと共有させてください。


私はルーツを、絵具のようなものだとイメージしています。

私たちの周りの多くの人は原色の絵具です。赤だったり、青だったり。

そんな中、私たちは青と赤が混ざった、紫色です。

原色しか知らない彼らは、私たちに対して「青なの?赤なの?」と聞いてきます。

けれどもそれはナンセンスです。どちらでもあり、どちらでもないのだから。

私はこの二択を迫られることに長年悩まされてきましたが、今では胸を張って「紫です。」と答えることができるようになりました。周りが原色しかいない中でそう宣言するのはなかなか勇気がいりますし、原色の人たちにとって「紫」というコンセプトは理解するのに難しいようです。しかし、少しずつですが、その理解も進んできました。


一重に紫と言っても、様々な色合いがありますね。 赤に近い子、青に近い子がいます。中には色が混じっていることが分からないほど原色に近い子もいるでしょう。

そしてこの赤と青のバランスは、確定的なものではなく、その時々で変わるものだし、変わっても良いものです。今は青が強くても、今後赤が強くなるかもしれない。

紫だからといって、そこに青がない・赤がないことにはなりません。

そして最も大切なことは、自分が何色かは周りが判断することではない、ということです。

アイデンティティというのは流動的で、確定的なものではありません。

経験を積むたびに絵具が足されていきます。赤が足される時もあれば、青が足される時もある。以前の自分と今の自分で、自分のルーツの理解が違っていても、過去の自分が間違っていたことにはならないので、その時その時で自分が納得するイメージを浮かべてみてください。


これから皆さんが大人になっていくにつれ、お一人お一人がユニークで素敵な色に輝けるように、全力で応援しています。


ご両親、先生方へ。


私は長らく自分が経験していることを「差別」であると認識することができず、ミックスであるが故に経験する様々なことを「しょうがないこと」だと思っていました。それが「しょうがない」のではなく「差別」であると認識できるようになったのは大人になってからです。その認識まで時間がかかってしまった大きな理由が、周りの大人の無理解だったと今では思います。


こんなことを言われて嫌だったと大人に伝えると、「そんなこと気にする必要はないよ」「相手はただヤキモチを焼いているだけだよ」と私の「嫌」という気持ちは常に矮小化されてきてしまいました。そればかりか、外見の違いを理由にいじめがあっても、「人間はみんな同じなんだよ」とカラーブラインド的なスタンスを取る大人が殆どでした。違いがあるからいじめがあるのに、「同じだ」と言われてしまっては何も解決にはなりません。「同じ」なのではなく、「各々違いがあって、それこそが素晴らしいのだ」と言ってくれる人が一人でもいたら、私はもっと早く救われていたかもしれません。


そのためにはまず、マジョリティである自分がお子さんと同じような経験や感情を今まで抱いたことはなく、今後も抱くことはないのだということを理解する必要があります。経験したことがないのに、相手が感じている痛みを勝手に「大したことはない」と判断するのはなんとも傲慢です。特にミックスのお子さんを持つ親御さんは、なかなかご自分とお子様を分けて考えることができていないのではないか、という印象を抱く方が少なくありません。いくら自分の子どもでも、やはり自分では体験できないことを体験しているのだと今一度認識することで、親子間でさらなる理解につながるのではないかと思います。


もしお子さんが、自分のルーツに対して言及されたことが「嫌だ」と主張してくれたら、まず耳を傾け、否定せずに「嫌だったね。よくないね。」と同調してあげてください。



***


インタビュー:下地 ローレンス吉孝

(※この記事は、書籍『「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実』に掲載されているインタビューのロングバージョンです。)



◆書籍情報◆


平凡社、4月21日発売予定

本体価格1,600円

目次

第1章「ハーフ」の問題は社会の問題なの? 

1 社会の問題として考えるってどういうこと?

2「ハーフ」の日常ってどんな感じ?

第2章それぞれの経験が複雑ってどういうこと?

第3章「ハーフ」のイメージと現実は違うの?

1「ハーフ」の歴史は日本の歴史なの? 2「ハーフ」のイメージはどうやって作られたの?

第4章「当たり前を問い直す」ってどういうこと?  

1差別ってなんだろう?  

2だれも「偏見」から逃れられないの?

第5章メンタルヘルスにどう向き合うといいの?


●各章の間に多くのインタビューを掲載しています!

●一人一人の経験、差別、社会構造と歴史、メンタルヘルス、人権など。ぜひお手に取り下さい。

出版社(平凡社)の書籍情報はこちら


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