突然ですが、「日本人」と「外国人」というカテゴリーは、日本社会の中で、一体どのような基準で区別されているでしょうか?
このコラムでは、「国籍」を一つの切り口として、「日本人」や「外国人」、そして日本社会の「ダイバーシティ(多様性)」について考えてみたいと思います。
「日本人」と「外国人」といっても、あらゆるテーマがあります。そこで、このコラムでは「多文化共生」にまつわる議論をテーマとして取り上げてみたいと思います。
多文化共生で語られる「日本人」と「外国人」とは?
日本では、「多文化共生」を推進する運動が1990年代頃から、とくに市民運動によって草の根的に開始され、特に1995年の阪神・淡路大震災以降は「多文化共生センター」や「たかとりコミュニティセンター」など多くの市民団体が誕生しました(山脇2011:28)
国レベルでも、1980年代の「地域の国際化」に関する施策が引き継がれる形で支援事業が展開され、2006年3月27日には総務省において「地域における多文化共生推進プラン」が策定されました。ここでは、同プランに書かれた事例や直近で公表された「多文化共生の推進に関する研究会報告書」などを参考にしつつ、自治体が取り組むべき課題が①コミュニケーション支援、②生活支援、③多文化共生の地域づくり、④多文化共生の推進体制の整備の4点記されています。この報告書には以下のように記されています。
国レベルの検討は、これまで主に外国人労働者政策あるいは在留管理の観点から行われてきたが、そうした観点からのみ捉えることは適当ではない。外国人住民もまた生活者であり、地域住民であることを認識し、地域社会の構成員として共に生きていくことができるようにするための条件整備を、国レベルでも本格的に検討すべき時期が来ていると言えよう。(p2)
このような「労働者」から「地域社会の構成員」という発想の転換は非常に有意義であり、地域社会におけるコミュニティ活動へも大きな政府レベルの意義付けがありました。 しかし、同時に、多文化共生に関する研究者からは、この施策の文言には、自然に「日本人」と「外国人」が固定的に論じられているのでは、という指摘がなされています。
「多文化共生」は新移住者(ニューカマー)を念頭においていることが多い(中略)多文化の多様性あるいは多文化の多重層があまり視野に入っておらず、「日本人」対「外国人」の二分法が支配的なために、「外国人」の多様性と、「日本人」および「日本文化」の多様性が念頭におかれていない。(ケント2014:57)
先ほどの「報告書」でも、例えば冒頭の「総論」で「外国人住民の現状」という小見出しの節では、本文に「外国人登録者」として登録者数の統計が記されています。ここで根拠として取り上げられるものが「外国人登録者」なのですが、ここで記す「外国人」が具体的に何なのか、という問題設定は実は明確な定義のないまま曖昧化され、あたかも「外国人」=「外国籍者」として議論が展開されていくようにみえます。また、帰化者についても、「外国籍から帰化した日本人」とは記されず、あくまでも「日本国籍を取得する外国人」と表現され、「日本人」のカテゴリーとの関係が曖昧なまま位置付けられています。
そして、多文化共生の議論では、あくまでも「日本人」は受け入れる側、「外国人」は受けいれらる側という認識が固定的に設定されてしまいがちです。
「国籍」からみえるダイバーシティ
では、ほんとうに「日本国籍者」=「日本人」、「外国籍者」=「外国人」という認識で議論を進めてよいのでしょうか?
ここでは、外見や人種・民族、文化、ルーツ、アイデンティティなどはまず横において、一旦<国籍>の内実はどうなっているのか、とい側面から考えてみたいと思います。
多文化共生の議論では図の左側のように、「日本人」=「日本国籍者」、「外国人」=「日本国籍者」と設定されがちです。しかし、「日本国籍者」と一言でいっても、実際にその中には図の右側のように、もともと海外生まれで帰化によって日本国籍となったケースや、日本国籍をもっていても海外生まれ・育ちのケース(帰国生など)があります。
また「外国籍」と一言でいっても、居住歴や在留資格のあり方などによって、図の下方にあるようにかなり多様なケースがあることがわかります。また、親の呼び寄せや親とともに来日した子ども達。両親ともに外国籍であっても日本で生まれ日本で育つケースもあります。
そして、「外国籍」でも「日本国籍」でもありうるのが、図の真ん中に書かれたケースです(「ハーフ」、「在日コリアン」、「日系」、「難民」、「中国帰国者」など)。
さらにいえば、両親ともに「日本国籍」であっても、そのどちらかが多様な海外ルーツを持つケースもあります。(各カテゴリーの詳細な説明は別コラムでしたいと思います)
このように国籍の内実をみてみると、実際には「日本人」や「外国人」というカテゴリーで大雑把に整理しきるには少し無理があるような、実際の日本社会の豊かな多様性が見えてきます。
また、これは単純に<国籍>という点から見た図ですが、他にも、性別やセクシュアリティ、出身地、地域間格差、経済状況の差、障害、ことば、文化、アイデンティティ、経験、教育を受けてきた機関(私立or公立等)、家族や親族の状況、などなど、ここに書ききれない数多くの指標によって<多様性>を考えていく必要があります。
近年、「多様性」や「ダイバーシティ&インクルージョン」などの言葉が盛んに叫ばれています。そしてこの中で、「多様性を実現しよう」「多様性を目指そう」といった言葉が聞かれることもあります。しかし、「多様性」とは、<これから将来的に実現していくもの>ではなく、<すでにあるのに、実は気づかれていないもの>なのではないでしょうか。
議論を単純にすることで見えなくなってしまうことに、目を向けてみること。そういった一つ一つの心がけや意識や発信が、目の前にある<多様性>に気づくきっかけをつくっていくことになるのではないでしょうか。 大きなカテゴリーを揺るがしたり、じっくり考え直してみることで、人々の多様性を想像する余地が生まれるのではないでしょうか。
そして、施策やプラン、社会のダイバーシティ推進や企業のCSR方針なども、単純化された「多様性」ではなく、現実にある「多様な現実」にしっかりと目を向けて対策を立てていくことが必要だと感じます。
▼参考文献
ケント・ポーリン, 2014, 「多文化共生政策が誰との『共生』を目指しているか?」『国際文化研究』, 18:53-60. 山脇啓造, 2011, 「日本における外国人政策の歴史的展開」近藤敦編『多文化共生施策へのアプローチ』明石書店.
▼多文化共生に関する総務省ホームページ
http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/chiho/02gyosei05_03000060.html
(ライター:下地 ローレンス吉孝)
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