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「発信すれば、届く」(後半):YSCグローバル・スクール代表の田中宝紀さんへのインタビュー

東京都福生市で海外ルーツの子ども達の学習をサポートする教室YSCグローバルスクールを運営する田中宝紀さんへのインタビュー、後半です(前半はこちら)。




***



――田中さんがクラウドファンディングに挑戦するきっかけはどんなことだったんですか?


教室への補助金が打ち切りになってしまったので、運営のためにクラウドファンディングをしなければいけなくなったんですよ。その時、クラウドファンディングの担当者の方も頑張っていろいろ教えてくれたんですが、サイトを作っただけだと人は絶対あつまらないので、やはり発信しないといけないんですよね。


でも、そのときはSNSでもそんなにフォロワーもいなかったし、私が人見知りなところもあって。Facebookのほうも、そんなにつながりはなかったですし。「情報をシェアしてください」っていうこともなかなか言えなくて、めちゃめちゃ胃が痛くなりました(笑)。「みんなにこういうメッセージ送れないよ…」と思って(笑)。担当者の方からは、「支援の大半は知り合いからきます」って言われたんですが、知り合い少ないし、直接お願いもできないし、どうしようと思ったんです。


そのときに、クラウドファンディングの募集ページ内に「新着記事」を書く欄があったので、なんで私たちがこれをやらなきゃいけないのかっていう事をそこに書こうと思ったんです。それをTwitterとかFacebookで発信していったら、ものすごく広めてくれる人がいて。温又柔さん、堀潤さんともそのプロセスの中で知り合いになりました。みんながその記事を広げてくれる。そして、情報が広がれば、寄付が集まってくる。そのサイクルがわかったので、とにかく立て続けに記事を書いていったんです。


海外にルーツを持つ子ってどんな子なのか、どうして苦しんでるのか、課題の背景にはどんな多様性があるのか。そういったテーマを一つ一つ切り取って、記事に書いていったら、最終的にものすごくたくさんの方が拡散をしてくれて、応援をしてくれて。そこで寄付をしてくれた人の9割ぐらいは、それまで知り合いじゃなかった人たちだったんです。そこまで知られていない課題だったのでそれを説明すれば、ひろって、気づいて、広めてくれる人がいる。「それは大事だね」と言って、支援してくれる人がいることがすごいって、1回目のファインディングでも2回目のときにも思ったんです。



――なんかいいですね!どうしても、何かの課題を発信しようとするときに、「それは問題だよね」ということが前提となって発信しようとしちゃうときがあるんですよね。でも、そもそもなんでそれが問題なのか、っていうところをもっと噛み砕いて最初に説明する必要がありますよね。今聞きながら、そういうことがすごく大事なんだなって



そうですよね。例えば、言いたいことが一つあるとして、そうしたときに、それを十分割して、一個ずつ伝えます。それが、たぶんその課題を知らない人に説明するときにはちょうどいい分量になる。伝えるときって、あれも、これもって結構言いたくなってしまうんですけど、やっぱり情報が多いとそれだけでお腹が一杯になってしまうので。これがあって、これもあるから、こうなっているという感じでわかりやすく発信していく。一本2,000字ぐらいの記事を五本積み上げて一つのストーリーを作り上げるぐらいの感じが、いいのかなと思いました。海外ルーツの子どもの課題は思っていた以上に知られてないし、それこそ“マニア”な世界だった。特に、「ハーフ」となると、すでにみんなの中にあるカラーみたいなものができてしまっているから、それを一つずつ崩していくような丁寧さは必要かなと思います。



――そうですね。「HAFU TALK」だと、あえて「ハーフ」っていう言葉をそのまま使ってるので、そうやって「ハーフ」という言葉自体の意味の組み換えみたいなものもしてく必要がありますよね。あと、十分割にして伝えるっていうのはすごいなと感じました、いつも詰め込んで詰め込んで伝えようとしちゃうので(笑)。



そうですね、「HAFU TALK」の記事はちょっと長いかもしれません(笑)。



――そうなんです(笑)。



例えば、難民支援協会のウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」が、長い記事でも耐えられるのは、やっぱり編集長の望月優大さんの編集の力があってこそだと思うんです。でも、私の場合は、発信の媒体にもよりますけど、1,000~2,000字ぐらいで、やっぱり3,000字ぐらいになるとPV(ページ閲覧数)が落ちたりします。ウェブだと通り過ぎていく情報が多いので、パッと掴んで、パッと拡散していくみたいなところが必要だと思います。見出しのなかにも、知りたい、見たいと思われるようなものを組み込む工夫で、広がり方が変わったりとか。



――いや~。めっちゃ勉強になります(笑)。お話を聞いていて、意外だな、と思ったことがあります。田中さんはもうすでに活動をパーンとなさっていて、すでに課題を知っている人が沢山いたからクラウドファンディングの達成にもつながったのかなと思っていたんですが、むしろ逆で、こういったクラウドファンディングやウェブの発信の活動を通じて人のつながりが広がっていったんだな、というところが自分にとっては新たな発見というか。



そうですね。この期間、私自身ウェブ上でとてもたくさんの人に育てられました。発信していたからこそYahoo!ニュース個人のお仕事につながりましたし、こうして素敵な出会いが生まれたりとか。やっぱり発信ありきですね。誰かが、情報をきちんと分解して伝えるという作業ができないと、マニアの世界に一般の人を呼び込めないし、マニアの世界を広げられないんですよ。



――やっぱり、情報を広げていく中での大変さなんかもありますか?



あの、実は、クラウドファンディングがキライで(笑)。はははは。なんか、トラウマになってるんですよ。やっぱり(新着記事を)書かないと支援があつまらないと思ってるから、書かないといけないプレッシャーがすごいです。クラウドファンディングが始まったら毎日書かなきゃいけないんだと思ってはいるのですが、ある意味、自分にはもうネタがない!何書こう!?みたいな(笑)。


私はもともと筆が遅くて、自分のなかで言葉が固まるまでインプットしないと、アウトプットできないタイプなんですよ。だから毎日書くためには、それ以上の量をインプットしなきゃいけない。それはやっぱりしんどいな、と思っています。発信って私にとってはマラソンみたいなものなので、やっぱり筋トレし続けないと、走れなくなる。その辺りのバランスがとても難しいです。もともと発信するとか、目立つとか、あんまり好きではないのもあって、Twitterも仕事にかかわりがなければ、こんなに熱心に発信はしていないと思うくらいです。 電波から離れるときと、発信するときの、そのバランスがまだうまくとれないです。



――そうですよね、研究のときもインプットして書く筋肉をつけなさいっていうことは言われました。



そうですよね。スイッチを自分のなかで決めて、ある程度環境を用意しないと書けないので、記事書くときは現場の仕事はできなくなるんですよ。誰か他の人がやってくれたらやめたいっていつも思うんですよね、書くのも、人前で話すことも。



――あとは、この活動と、田中さんのアイデンティティ的なところもお話聴きたなと思ったんです。なんだかぼやっとした質問になっちゃったのですが、、



いえいえ。私自身は、中学校まで(自分の出自を)知らされずに育ちました。パスポートを作りますということになったとき、初めて戸籍を取り寄せてみたら、母親の名前が朝鮮名だったんです。


その時じつは、やったーとおもったんですよね。ハーフだ、と思って。本当に何にも知らなかったので。さらにそこから時が流れても、あんまり気にすることなく生きてきたんです。大学の卒業式のときにせっかくだから、とコスプレ感覚でチマ・チョゴリを着たぐらいで。


なので自分のアイデンティティのなかでは、在日であるっていうことは無かったですね。でも、こういう仕事をしていくなかで、在日のコミュニティの方とかからお話を聞いて、すごく考えさせられることが多くて。私ももしかしたら何かが違えばコミュニティのほうにいたかもしれない、と。日本国籍も持ってるし、日本に同化してると自認もしてるんだけど、なにもしなくていいのかなって自問することがあって。でも、何かしようと思っても、在日の立場から何かをしようとすると、すごく難しいと感じます。おそらくまだ自分という範囲内でなにかするとしたら、なにができるのかというところが、まだ揺れてる部分なのだと思います。


ただ、今とにかく時代がめまぐるしく変わっている中で感じるのが、在日という存在があまりにも置き去りなのではないか、ということです。「定住外国人」の方々を対象に新しい制度を作っていこうとするときに、在日という人々の過去はほとんど触れられることがない。でも、あの過去と現在から何も学ばなかったら、同じことが海外ルーツの子ども達に起きてしまうと思っています。だから今、あらためて在日の方々の歩んできた日々に学ばなくてはと感じています。



――あと、以前お会いした講座のときに思ったのですが、田中さんは、自分のアイデンティティとしてルーツの部分と、あとルートの部分というか、フィリピンとのつながりというか。それは、アイデンティティというものをどうやって定義するかにもよるんですが、そのフィリピンとのつながりも大きいのかなと思うところがありまして。



なんか、例えば「どこかに帰れ」って言われたとして「帰る」のだとしたら、私の場合はフィリピンだな、と思うんですよ。朝鮮半島には行ったことないので、「帰る」ところまでイメージができなくて(笑)。10代の半ばでフィリピンに行ったので、自分の中に強烈に刷り込まれてる部分はありますね。16歳のころに初めてフィリピンでの暮らしを経験して一旦帰国した後、2回目、二十歳のときにフィリピンにもう一回移住してるんです。そのあと、フィリピンの児童擁護のサポートのNGOにずっと関わっていって。一個の重石(おもし)みたいなものだったんですよね、自分のもう一個のルーツというかなんというか。これを自分の中に取り込まないと、次に進めないみたいな感覚です。その時期を乗り越えて、こうやって活動をして、フィリピンルーツの子ども達をたくさんサポートすることができて…。乗り越えた先で思い返すと、いろいろ助けてもらった原点でもあるんですよ。



——単純じゃないわけですよね、フィリピンとの関係が。



そうなんです。紆余曲折があって、すごく心をフィリピンに奪われてるなと感じます。いろんな意味で。もう5年ぐらいはフィリピン行ってないんですけど、常にフィリピンのニュースを調べたりして。後ろ髪引かれるところがあるんですよね。



***



ルーツというものは、血縁的なつながりだけではなく、育った環境や、言語、習慣、文化など様々で、一つの軸では決められないものだ。「左利き」ということも、その一つかもしれない。


田中さんは私にアイデンティティに関して話をしてくれている時に、「生活の中で一番困るのは、左利きなところです」と話してくれた。また、結婚して名字が「田中」に変わったことも、アイデンティティの揺らぎとして語ってくれた。


マイノリティ、マジョリティ、アイデンティティ、ルーツ、ルート…これらの言葉は、自分自身を説明する上で必要であるが、ときに人と人とのあいだに境界線を引きうるように用いられる場合があるだろう。しかし、これらの話は、「違い」だけでなく、「共感」にもつながる。田中さんはインタビューの最後に、以下のように話してくれた。



他の人が、「あ、これ自分にも置き換えられるかもしれない!」みたいなことが、喚起できるような発信も心がけたりしてます。ある課題についてそれだけを真っ正面から伝えても、伝わらない時がありますよね。でも、「この話って、例えば結婚して名字が変わることと似たような感じなんだよ」って伝えれば、理解してもらえるような。そういう発信をもっとやっていきたいです。



***



学習支援の現場からの話、社会への発信にまつわるエピソード、朝鮮半島やフィリピンとのつながり、そしてアイデンティティ…。どこか違っていて、どこか重なるような経験があなたにもありませんか?


自分について語ること、その語りを聞くこと。その時に、「違い」の部分が明確に見えてくる時があるかもしれません。でも同時に、実は「似ているところ」「重なるところ」も見えてきているのではないでしょうか。


生い立ち、名前、アイデンティティ、育った環境、持っているクセ、失敗した経験とその過去への向き合い方…。田中さんの語りの中で浮かび上がる様々なテーマに自分の経験を重ねてみると何が浮かび上がるでしょうか。


田中さんが解決しようとする課題、海外ルーツの子ども達が日本社会で抱えている課題について、「似ているところ」「重なるところ」から、少しずつ知って、考えて、支援の手を差し伸べてみませんか?



***



田中宝紀さん プロフィール

1979年東京都生まれ。16才で単身フィリピンのハイスクールに留学。 フィリピンの子ども支援NGOを経て、2010年より現職。「多様性が豊かさとなる未来」を目指して、海外にルーツを持つ子どもたちの専門的日本語教育を支援する『YSCグローバル・スクール』を運営する他、日本語を母語としない若者の自立就労支援に取り組む。 現在までに30カ国、600名を超える子ども・若者を支援。日本語や文化の壁、いじめ、貧困などこうした子どもや若者が直面する課題を社会化するために、積極的な情報発信を行っている。


▼田中宝紀さん執筆のyahoo記事はこちら

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語り手:田中宝紀さん(Twitterはこちら

聞き手:下地ローレンス吉孝

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